私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
カエルの大合唱が聞こえる時期がきた。近所を歩くと、田植えも終わり、雨も降って絶好の居場所がしつらえられた、と喜びの声をあげているようだ。しかし、少し歩くと様子は一変してくる。田は宅地に変貌し、住宅が建築中だ。こうして田がなくなっているのは、私の近所だけの話ではない。カエルの立場からすると、すみかが狭められ、生きづらくなっている。ひょっとして、カエルの鳴き声は喜びの声ではなく悲鳴かもしれない。カエルたちを追い込んでいるのは、ほかならぬ我々人間である。人間に潜むおごり、たかぶりと無関係ではないように思えてくる。共に生きていこうという優しいこころは微塵も残っていないのではないだろうか。
ある寺院の掲示板に「頭は低く、目は高く、心は広く」ということばが掲げられていた。私の姿は全くの逆で、「頭は高く、目は低く、心は狭く」ということだと深く思いしらされる。謙虚さということを忘れるべきではないだろう。思いあがるこころは、できるだけ抑えていかねばと思う。頭を低くするということこそが、共生していけるということではないか。そして互いに讃えあうこころを大切に、自と他の距離を小さくし、対話していくことが平和実現への道のりではなかろうか。仏教は、その出発点から平和主義、平等主義を標榜してきた教えである。また、親鸞聖人も「世のなか安穏(あんのん)なれ、仏法ひろまれ」とおっしゃる。争いのない世界が実現することを願うばかりである。
「2024(令和 6)年 6 月 1 日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
6 月御命日法要
○ 日時 6 月 18 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 渡辺雅俊 師(浄土真宗本願寺派布教使)