私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
頑(かたく)なに融(と)けようとしなかった雪のかたまりが陽ざしを浴びて姿を消していく。春の訪れも遠くない。古き友6人と久し振りに食事会を持った。きっかけはそのうちの1人との電話。年齢をあらためて聞きあい、月日の速さに驚かされた。
互いの顔を見ながら話をしていると、何十年も前に共に学んでいたことが、まるで昨日のことのようによみがえってくる。それぞれが違う道を歩みながらも、今ともにこの娑婆世界にいる。こうして会えている不思議さをかみしめながら、貴重な時間を過ごした。人間は人との出会い、交わりによって成長していくもので、年齢に関係なく教えられることも多い。互いに刺激を受けながら、1人のことばにあらためて考えさせられた。「学生時代、もう少し勉強しておけばよかった」。よく聞くことばだ。
人間誰しも過去を振り返り、「ああしとけばよかった」ということはある。仮に、過ぎた時間をやり直すことができたとして、充実した後悔しない時間を過ごせるかというと、そうはいかない。前と同じことを繰り返してしまうように思う。だから、いつまでたっても後悔の念はとどまることはないのだろう。その思いを「今を大切に生きよう」とすることに転換していければと思う。切り替えである。
「未来をあてにするな、過去を振りかえることなかれ。そして、あるのは今だ」。大事にしたいのは「今」である。親鸞聖人は『教行信証』冒頭で「いま遇(あ)ふことを得たり」と「今」を強調されている。
「2025(令和7)年3月1日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
3月御命日法要
○ 日時 3月18日(火)13時30分~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 工藤 恭修 師(浄土真宗本願寺派布教使)