学年毎の「講堂仏参(音楽法要・講話)」は今まで通りとしますが、2020(令和2)年度より「HR仏参(朝の礼拝)」を開始いたします。
浄土真宗本願寺派の派立学校である本校は、宗教的情操教育、特に仏教精神に基づく情操の涵養を教育方針の基本とし、「浄土真宗の精神」を「建学の精神」としています。
龍谷大学付属平安高等学校・中学校「建学の精神」
龍谷大学付属平安高等学校・中学校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。
迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。
阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自分中心の勝手な考え方にとらわれるのではなく、広く柔らかな考え方ができるようになるのです。
本校は、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。このことを実現するための日常の心得として以下の3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神あってこその心であり、生き方です。
○ことばを大切に
正確な言葉・やさしい言葉・ていねいな言葉
○じかんを大切に
今という時間・青春という時間・人生という時間
○いのちを大切に
いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのち
むすび …… そして始まり ― 平安の願い ―
本校の「建学の精神」は、「浄土真宗の精神」です。この場合の「浄土真宗」とは仏教の「宗派」を表す言葉ではなく、『無量寿経』の教え、すなわち「阿弥陀仏の本願」を意味しています。この本願を「鏡」として自己を深く見つめ、真摯に生きることのできる人間を育成しようとして、本校は1876年(明治9)年に建てられました。
みなさんはまだ若くて元気ですが、悲しいかな、いずれ必ず若さを失って老い、また病をえて死んでいきます。誰も逃れることができません。「では、どうすればよいのか」と嘆き悲しむ私たちに、かつてお釈迦さまは「必ず救い取るぞ」の阿弥陀さまのご本願をお説きくださり、人がひととして生きる道をお示しくださいました。その教えを受けて阿弥陀さまのご本願を聞きひらき、真実の人生を歩まれたお方が、他ならぬ親鸞聖人でした。親鸞聖人は、阿弥陀さまのご本願を聞きひらいた時、自己を真摯に見つめ、かけがえのない「いのち」を大切に生きていく道が開かれてくると、教えてくださいました。
みなさんは入学すると、一般的にいうところの「徳育」「知育」「体育」の三本柱が本校では並立してあるのではなく、あくまでも「浄土真宗の精神」を学ぶ「徳育」(宗育)こそが、その根幹にあることをまず知るでしょう。その幹から「知育」「体育」の枝が伸び、そこに学力や体力の向上、あるいは夢の実現という花が咲くのです。知性を磨くこと、体育に精一杯の汗を流すことはもちろん大事なことですが、それ以上に大切なことは自己の真実の姿を真摯にたずねることです。その姿勢があってこそ聖なるもの(浄土真宗)にふれることができ、そこで初めて人間としての真の生き方、いかなる困難にもくじけることのない強靱な生き方ができるようになるのです。知性の開花も体育の充実も、その上に成り立つものであることを知ってください。
ところで、みなさんは「IQ」(知能指数)や「SS」(偏差値)という言葉は知っていますね。昨今は、こうした数字で人をはかろうとします。しかし、数字では表すことのできない大切なものがあります。
たとえば、「EQ」という言葉を聞いたことはありますか?「EQ」とは、「こころの知能指数」あるいは「こころの知性」と呼ばれるもので、現代社会を生きる力の指数をいいます。指数といいましても、「EQ」の「E」は英語の“Emotional”で、「情緒」や「感情」と訳されますから、「こころ」のことです。したがって、本来は数字で表すことはできません。
この「こころ」を育てることこそが、実は仏教的なものの見方のできる人間を育てることであり、それが本校の「徳育」に他ならないのです。具体的にいえば、みなさんの心に「思いやりの心」を育て、「自制・協力・調和の心」を育む。そんな豊かな心をもった人間に育ってほしいというのが、本校の願いなのです。しかし、「徳育」と言ってもなかなか伝わりにくいので、さらに具体的に日常の心得として、「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけているのです。
「創立140周年記念『平安の願い 三つの大切 ― 建学の精神 ―』2016年4月1日発行」より
浄土真宗本願寺派のご本山である「西本願寺」では、毎朝午前6時より「晨朝(じんじょう)(朝のお勤め)」が御影堂と阿弥陀堂の両堂で勤められています。本校におきましても、週に一回講堂におきまして、学年毎の仏参を実施しています。今年度からは、この「講堂仏参(音楽法要・講話)」に加えて、「HR仏参(朝の礼拝)」を開始いたします。
宗門校である本校にあっては、全校生徒と教職員が、毎朝8時25分、各HRと職員室等において、ご本尊に向かい「合掌・礼拝」をしたいという思いから、「晨朝(朝のお勤め)」を「HR仏参(朝の礼拝)」として勤修することといたします。
したがいまして、2020(令和2)年度より、「龍谷大学付属平安高等学校・中学校」の一日は「朝の礼拝(敬礼文・三帰依・さんだんのうた・念仏)」から始まり、毎夕、「恩徳讃」が放送で流れて「今日も一日無事に過ごさせていただきました。今日の一日(ひとひ)を静かに振り返りみ仏に感謝いたしましょう。」と一日が終わることとなります。
龍谷大平安の一日をみなさんと共に『私たちのちかい』を肝要として、過ごしてまいりましょう。
私たちのちかい
一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
「2018年(平成30)年11月23日 浄土真宗本願寺派ご門主 ご親教」