2020(令和2)年度 御命日法要【12月】
私たちのちかい 一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
酔っぱらいの親【阿弥陀如来の慈悲をあらわす例話】
酔っぱらった男が、路に倒れて泥だらけになりながら暴れまわっている。周りの人に言いがかりをつけたり、飛びかかったりと、歩いている人はみな避けて通る始末。誰一人として近づこうとするものはいない。そこへ一人の紳士がやってきて、酔っぱらいを背中にせおって連れていこうとする。からだは泥だらけ、逃げ回るやら食いつくやらで、とても始末におえない。それでも無理に連れていこうとする。あの人は何という変わり者だ。あんな酔っぱらいを、何でそこまでして連れていくのか。まったく物好きな人である、とよそから見ればそう思われるが、よくよく聞いてみると、その紳士は酔っぱらいの親であった。我が身の難儀も厭わず、一人で抱えて連れていこうとするのは、親なればこそである。
蓮如上人の『御文章』のなかに、「阿弥陀如来なればこそ、かたじけなくもたすけましまし候へ」とある。無明煩悩の酒に酔い、邪見慢と暴れまわっている私であれば、どんな仏さまでも愛想をつかし逃げてしまわれるのに、ただ阿弥陀如来さまだけは、煩悩に酔っぱらっている私を決して見捨てはしないぞと、南無阿弥陀仏と呼びかけてくださる。これはどうしたことかと思ってみれば、阿弥陀如来こそ久遠劫以来のまことの親さまであったからだ。
【田淵静縁『布教大辞典』法蔵館】「浄土真宗本願寺派総合研究所布教伝道の基礎より」
12月 御命日法要
○ 日時 12月15日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ