今日は花まつりを講堂でお勤めし、今年度は生徒全員が講堂に入りました。花まつりは、仏教をお開きになられたお釈迦さまの誕生をお祝いする行事です。
まず、10時から中学と高1学年の部でした。そして、浄土真宗本願寺派布教使の藤澤彰祐先生のご法話をいただきました。藤澤先生は、お釈迦さまがお生まれになった時、むくっと置き上がって七歩あゆんで「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという誕生話をされました。この言葉をお釈迦さまがおっしゃったのは本当であり、天の上にもこの大地の上にも、私にとって代わるいのちはないんだ。私はかけがえのないいのちを生きている。私はたった一人の存在、尊いいのちを生きているんだとおっしゃったのです。「かけがえがない」とは、かけかえることができないということです。制服のボタンをかけ間違えることがありますが、それはかけがえがきくということです。「かけがえがない」ということは、交換や代用することができないということです。
また、阿弥陀さまは「南無阿弥陀仏」の仏さまとなって、あなたのたった一つのかけがえのないいのちの価値を見抜き、自分で自分のいのちの尊さに気づけないあなたに、私がそのいのちの尊さを教えようとされています。阿弥陀さまは「天上天下唯汝(ゆいじょ)独尊」と言うてくださり、この汝とは「あなた」という意味です。
ところで、藤澤先生は中学校に入学して環境が変わり、友達が離れて孤立されたそうです。その時とてもしんどい思いをされましたが、担任の先生がそのことに気づき、自分のことを見てくれていた(知ってくれていた)人がいたことに安心されました。阿弥陀さまも私のことを全部見抜き知ってくださっている。藤澤先生は聴いている生徒たちに「みなさんはその大きな力強い教えに出遇われ、いまは有り難いなぁと思えないかもしれないが、いつかふと有難いなぁと思えることがくると思います」と、その思いを伝えられました。
続いて高2・3年の部では、浄土真宗のお念仏とは何かをお話されました。「南無阿弥陀仏」とは、阿弥陀さまの正式なお名前であり、阿弥陀さまのお名前をよびながら阿弥陀さまの存在を確かめるということです。藤澤先生は在家の方(お寺の出身ではない人)と結婚される際、お義父さんから「結婚するということは、もうあんたは息子や」と言われて嬉しかったそうです。そのお義父さんに対して、何かをアピールすることもなく、今までしてきた悪事を懺悔(ざんげ)することこともない。ただただ「お義父さん」と呼べばいい。阿弥陀さまに対しても同じことで、私たちは何かをアピールする必要もなく、「南無阿弥陀仏」とお名前をよばせていただきながら、阿弥陀様を確認させていただくのです。これが浄土真宗のお念仏というものだと、藤澤先生はおっしゃいました。
また、藤澤先生は「大丈夫」という仏教用語を紹介されました。「大丈夫」とは『涅槃経』というお経に出てくる言葉で、大いなる丈夫なお方、つまり仏さまのことをいいます。藤澤先生の娘さんが歩けるようになってすぐの頃、よくこけて泣いていました。両親が「大丈夫、大丈夫」と声をかけたところ、娘さんは起き上がり、自分で自分の肩をトントンして泣き止んだそうです。それは親の存在を確かめているしぐさであり、父である藤澤先生はその姿を見て「南無阿弥陀仏というのはこういうことなんだな」と思われました。私たちが「南無阿弥陀仏」とお念仏を申すのも同じであり、決して倒れることのない大いなる丈夫な阿弥陀さまが、あなたは大事な存在であるということを私に知らせてくださっている。私たちに「大丈夫」の安心を与えてくださっているのが阿弥陀さまなのです。今日のご法話を聴いて、あらためてお念仏を申したいものです。