私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
SDGsの前には、地球に優しく、環境に優しくという言い方がよくされていた。その頃のコラムに「人類の歴史を地球の歴史に比べれば、泡みたいなものだ。人類は地球に依存して生きている。戦争や環境破壊によって地球を傷つけているのは人間で、地球に優しくなんていうのは思いあがりもはなはだしい。それよりも、人間お互いもっと誠実に仲よく生きなさいと地球は言うだろう」とあった。最近「優しい」の大和ことばの語源を知って少し驚いた。「痩せる」という意味だそうだ。「優しい」という語に、思いやりや親切、明るさや柔らかさといった意味を連想していたが、ことばの色合いが違って見えた。優しさには、痩せ細るほどの思いが伴い、つらく、耐え難いという意を内に秘めているようだ。
仏教説話にあるキサーゴータミーという女性の名が浮かんだ。キサとはパーリ語で「痩せる」「やつれた」という意味である。わが子の死を受け入れることができず、子どもを生き返らせようと、痩せてしまうほど走り回って、効く薬を求めていく。ある賢人に教えられて釈尊のもとにたどり着き、その指示に従って家々を訪ねていく。キサーゴータミーは人間誰しも死ぬものだということに気づかされ、わが子の死を受け入れていく、という話だ。
優しいということばを私たちは簡単に使っているが、そんなに生易しいことばではなかった。痩せる思いで苦しんだ中から出てくるのが優しさである。実に重い意味が含有されているように思う。
「2022(令和4)年7月1日(金曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
7月御命日法要「教職員宗教研修」
○ 日時 7月12日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 勤行(讃仏偈)のみ