私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
仏典には多くの譬喩(ひゆ)が散りばめられている。教えの中心に焦点があてられているため、理解する上で大きな役割を果たしている。釈尊をはじめ多くの高僧は巧みな譬喩の担い手であった。原始経典に説かれる譬喩のなかに、「この世間に三種の人がいる。岩に書いた文字のような人、砂に書いた文字のような人、水に書いた文字のような人」とある。「岩に書いた文字のような人」とは何か。岩に書かれた文字は、風雨にさらされながらも、何十年、何百年たっても消えることはない。そのように、怒り、腹立つこころがいつまでもやむことなく続くことをあらわしている。次の「砂に書いた文字のような人」とは、砂に文字を書くことは簡単にできるが、同時に消えるのも早い。次々と腹立つこころが起こっては消え、消えては起こる。そんな状況を想像することができる。穏やかなときもあるということか。最後に「水に書いた文字のような人」。水の上に文字を書くことはできない。たとえ、何度も何度も書こうとしても、水の上に点すら残ることはない。これが意味するところは、他人の悪口や不快なことばを聞いても少しもこころにとどめることなく、その跡がないということである。柔和なこころで満ちている人を指す。私は三種のうちのどの文字にあたるのだろうか。一つの譬喩から日頃気づかなかったことに気づかされていく。それは、知らなかった私の姿が知らされていくということにほかならない。
「2022(令和 4)年 11 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
11月 御命日法要
○ 日時 11 月 15 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 宰務 清子(さいむ きよこ)師(浄土真宗本願寺派布教使)