たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
人間は強いところ、すぐれたところを見せたがるものだ。反対に弱く、劣ったところは知られたくない。ところが、弱いところ、本音をさらけ出すと、それを受けとる側は構えをはずして普段のままの態度で接してくれて、意外に話もはずむ。私たちには、いつも自分を虚飾で装い、他よりすぐれていると思われたいという気持ちがどこかに潜む。知らず知らずに自分をよく見せようとし、見栄えも尊大さも全くないということは、まず考えられない。自己中心的に生きるということは世間でよく言われることばだが、そこに集約されるように思える。梅の花が咲きはじめ春の兆しがみられる。木々も春を迎えて色鮮やかになるが、冬もいい。ある俳人が、木々の葉が厳しい寒気にあたって落葉し、裸の木となり、色を失った野山となる。それを眺めるとなんとなく安らぎをおぼえる。それは、虚飾を捨てきった風景のせいであろうかと言った。虚飾ということばにかぎりない深みを感ずることである。親鸞聖人は、中国の善導大師のことば「外に賢善精進の相(そう)を現じ、内に虚仮(こけ)を懐(いだ)くことを得ざれ」を読みかえられ、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐ければなり」とされた。大きな内容の転換である。どこまでも虚仮不実な身であると聖人はいただかれたのである。そうした我々がまかせよ、かならず救うという南無阿弥陀仏のよび声を聞き、如来の願力によって救われていく。聖人ご誕生あればこそ、このみ教えに出遇あえたのである。
「2023(令和 5)年 2月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
2月御命日法要
○ 日時 2月14日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 杉本光仁(ありひと)師(浄土真宗本願寺派布教使)
※1月16日(月)御正忌報恩講法要ご満座 新しい「領解文(りょうげもん)」(浄土真宗のみ教え)についての御消息が発布(別添)