本日は10時より宗祖降誕会・開校記念式を行いました。そして、本願寺派布教使の三ヶ本義唯先生のご法話をお聴きました。
阿弥陀如来という仏さまはどういう仏さまなのか。「お慈悲の仏さま」という言い方があり、慈悲は「優しい」「情け深い」といった意味で使うことが多いと思います。この慈悲のなかに「悲(悲しみ)」という一文字が入っているように、眼の前にいる相手の喜びは勿論、悲しみというものにしっかりと眼を向けられているのです。その悲しみも決して見逃さない、見捨てない。そうした人こそ焦点を当てて、その悲しみをなんとかしようと寄り添いはたらくというのが、本来のほとけさまの慈悲なのです。
三ヶ本先生は、お笑い芸人の明石家さんまさんのエピソードをお話されました。3歳のときにお母さんを亡くされ、お父さんは仕事ばかりだったため、お兄さんと2人で寂しい思いをされたそうです。お父さんの再婚により新しくお義母さんを迎えましたが、心を開いてくれず、孤独と寂しさを経験されたのです。そのお義母さんに心を開いてもらうため、さんまさんは学校であった出来事を面白おかしくしゃべり、それが日課となって、さんまさんのお笑いの原点になったとのこと。孤独と寂しさを経験したさんまさんのエピソードを聴き、仏さまの慈悲に近いものがあるように感じました。
次いで、三ヶ本先生のご友人の話が続きました。インドまで仏教の遺跡を巡る旅行をしていた際、同行していた方に、実家からお父さんの訃報連絡が入りました。その方は手続き等ですぐに日本へ帰国できず、そのまま旅行に同行することになりました。次の日の朝、その方が次のようなことをお話されたそうです。
「私は今まで仏教というものを聞くなかで、お浄土のことを聴いていたが、それにあまり意味があるとは思っていなかったんです。昨日の夕方、バスの窓から地平線に沈む大きな夕焼けを見たとき、ハッと思いました。インドにも西はあるんだと思い、沈む夕日に手を合わせてました。私は昨日、お父さんに手を合わせることができました。私は今日ほどお浄土が西にあることを嬉しく思ったことはありませんでした」
三ヶ本先生はこのお話を通して、「私たちの大事な方との別れの苦しみ、いのちを終えるというこの苦しみを決してそのままにしないと思ってくださったのが阿弥陀如来という仏さまであり、このおしえは今の私の苦しみや悲しみのためにある」ということをおっしゃいました。この親鸞聖人(浄土真宗)の教えが、850年という歴史の上でこの私たちの上に届き、850年の世を生きる私たちの人生のよりどころになる大切な教えなのだということ再確認しました。
ところで、同時刻に高1学年は本願寺を参拝しました。
10時より宗祖降誕会奉讃法要、その後の龍谷総合学園のつどいに参列しました。