本日10時より本校講堂において、涅槃会を勤修いたしました。この度のご講師は、本願寺派布教使の津守秀憲先生にご法話をいただきました。
津守先生は仏教の暦の読み方を紹介され、お釈迦さまが涅槃に入られてから、今年で2567年に当たるそうです。そのお釈迦さまが本当に説きたかったものが、阿弥陀さまのお救いが説かれた『仏説無量寿経』であり、その阿弥陀さまが「必ず救う」と仰ってくださるのは有難いことです。私たちは普段、なかなか相手に責任を持って「必ず」という言葉をつけて言うことがありません。
津守先生があるお寺へご法話に行く際、電車が止まってしまい、タクシーに乗られたそうです。その時に「13時までに着きますか?」と尋ねたところ、運転手さんから「行けます、行けます、たぶん」いう返事が返ってきました。タクシーは時間通りに到着したのですが、運転手さんの「たぶん」の一言で、津守先生は「時間どおりに着けるのか」まったく安心できなかったそうです。もし阿弥陀さまも「たぶん」という言葉が付いていたなら、私たちは安心して手を合わせられず、自分で努力することも必要だと思うかもしれません。そうなると、自分のやった功績だけが見えてきて、阿弥陀さまの姿を見なくなっていく。津村先生は、「これが私の姿なのだ」と仰いました。さらに、津守先生は親鸞聖人の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」〔『歎異抄』後序より〕のお言葉を引用され、親鸞聖人と同じく、阿弥陀さまの救いの船は、私たち一人ひとりのための船だという見方ができることを示されました。
後半では、お笑いの北野たけし(ビートたけし)さんとお母さんのあるエピソードをお話されました。お母さんは子供たちに貧乏生活から脱出させるため、良い教育を施されたといいます。良い大学に入ることで良い会社に就職でき、高額な給料がもらえるからです。しかし、たけしさんは有名私立大学に合格したものの、大学在学中にお笑い芸人になると大学を辞めてしまいます。お母さんは「なぜ貧乏な方へ行ってしまうのか」と嘆かれたそうですが、お笑いブーム到来でたけしさんにスポットが当たり、その後は役者や映画監督などどんどん開花していきます。そんなたけしさんに対して、お母さんはたけしさん名義の預金通帳を作り、万が一のために備えてお金を貯めていたのです。そして、当の本人は亡くなるまで質素な生活を貫かれました。そのお母さんの通夜の際、「どんなお母さんでしたか?」というインタビューに対し、たけしさんは「おいらの知っている母ちゃんは、いつも泣いている、働いている母ちゃんでした」とその場で泣き崩れたのでした。心配をかけ続けたこの私のためにたくさんの愛情があったことに気づかれたのです。
津守先生は、阿弥陀さまも同じであり、この私一人のために救いというものを説いてくださり、阿弥陀さまのご苦労があったのだと強調されました。そして、お釈迦さまのお経1文字1文字が私を救うための説法であったことを、この涅槃会の行事を通して感謝したいところです。