私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
3年前に、京都で世界宗教者平和会議50周年記念式典が開催された。その様子を紹介する新聞記事には、シンポジウムの講演内容を示す見出しに「共感力生かす社会重要」「地球として危機感共有を」と「共感」「共有」という言葉が並んでいた。この言葉はよく見聞きし、人口に膾炙する。それは、共感、共有するこころが失われていっている時代だとも言える。今こそ、この言葉のこころを思い起こし、大事にしていかねばと思うことである。人間には、他人の感情を自分のもののように感ずる能力である共感が備わっており、他人の苦しみや悲しみを背負うことや、他人の喜びを自分のものとし、1人の世界の何倍もの喜びを得ることができるという。
しかし、人の喜びを自分のものとすることは簡単なことではない。「隣の家に蔵が建つと腹が立つ」「隣の芝生は青い」という言葉があるように、共に喜ぶということは難しい。仏典には、真の友とは互いによきことがあれば共に喜ぶ、とある。共に喜ぶ姿は美しく、崇高でさえある。仏教は一体感を説く教えである。相手を受け入れ、また、相手の中に自己を見出していく生き方と言っていいのであろう。
人間は 1 人で生きているのではない。私そのものも他によって私たらしめられており、私自身が他を他たらしめている。そこに気付く中に、人の悲しみを悲しみ、喜びを喜ぶというこころが起こり、その先に平和な社会の構築があるのではないだろうか。
「2024(令和6)年2月1日(木) 本願寺新報『赤光白光』より」
2月御命日法要
○ 日時 2月13日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 正親一宣 師(浄土真宗本願寺派布教使)