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令和6年度 宗祖降誕会・開校記念式 2024年05月21日(火)15時16分

 本日は10時より本校講堂にて、宗祖降誕会・開校記念式を勤めました。高校1年生のみ宗祖降誕奉讃法要(音楽法要)のため、本山参拝しました。

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 本校の宗祖降誕会では、本願寺派布教使の若林唯人先生のご法話をいただきました。若林先生は30歳ぐらいのとき、各宗派のお坊さんたちと、2か月に1回『フリースタイルな僧侶たち』というフリーペーパーを発行されていた方で、毎回1万5千部を全国のカフェや本屋、お寺に置かせていただき、日頃は原稿に赤を入れるなど、当時は原稿の編集に明け暮れたそうです。

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 若林先生はご法話の中で、親鸞聖人が「私が阿弥陀様のお名前をよぶ声であると同時に、阿弥陀さまが私たちによびかけてくださる声である」と教えてくださり、端的に言うと、「私にまかせよ、そのまま救う」とよびかけてくださっているとお話されました。この「そのまま」という言葉は、私が引き受けたということを表す言葉です。そのたとえとして、若林先生が夜遅く帰ってこられた際、家のことを1日やって疲れ、ソファーで寝ておられた奥様が洗い物をそのままにしていました。そんな奥様に対して、「寝ていいから、食器はそのまま置いといて」と一言告げられ、それを聞いた奥様は就寝されました。その後に「翌朝になって、もし食器がシンクにそのままだったなら、妻からしばらく口をきいてもらえなっただろう」と添えました。「そのまま」という言葉には、「食器を洗うのは、私が引き受ける」という意味が含まれており、そこには行動が伴うのです。
  さて、阿弥陀さまは、私たちのことを川で溺れているような存在だと思われています。溺れている人に今更泳ぎ方を教えても、岸までたどり着けるそんな能力はありません。岸の上で見守っている人は、その溺れている人をほってはおけないと、溺れている人のもとまで近づいてそのまま抱きかかえ、安全な岸の上まで苦しむ人を抱え上げます。「われにまかせよ、そのまま救う」と仰る阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」というお念仏となり、私の口からこぼれ出てできます。若林先生は、「口からこぼれ出るということは、南無阿弥陀仏が私に至りとどいている証拠なのだ」と仰いました。その阿弥陀さまの「よび声」を親鸞聖人は喜ばれたのです。
 この度の宗祖降誕会のご法話を通して、生徒たちにあらためてお念仏を聞かせていただくことを大切にしてほしいです。