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7月御命日法要 2024年07月16日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 「遠目にはお寺の屋根と柿若葉」。全国紙の俳壇に掲載された一句に目がとまった。みえたままをさりげなく詠まれ、さわやかな印象が残った。「お寺の屋根」がみえただけだが、そこにさまざまな思いが凝縮されているようにも拝察できる。こころのふる里を感じとられたのかもしれない。また、お寺に思い出があったのであろうか。小さな頃に遊んだことを思い出されているのかも、といろんなことが想像でき、お寺のある風景にこころ和ませられる。かつて、著名な仏教学者が「仏教が今日まで伝わってきているのは、お寺があったからですね」と語っておられた。お寺があるということ自体、その意味が大きいと言わなければならない。私が暮らしているところでは、かつては夕方にお寺の鐘の音が遠くから聞こえてきていた。しかし、環境も様変わりし、騒々しい生活音の中にその音がかき消されているのであろうか。聞こえることがなくなってきているように感じる。鐘の音に触れると、お寺の存在を感じるとともに、私と同じように、その音を聞きながら今日一日を無事に感謝し、帰途に就いていた人もきっといたであろうと想像する。家の外から聞こえてくる鳥の鳴き声に、鳥の姿がこころにみえてくるように、音を通してみえてくるものがある。浄土真宗は聴聞を大切にする宗教である。すなわち「聞」の宗教、「聞名(もんみょう)」の宗教である。名とは言うまでもなく南無阿弥陀仏である。私のところに届くその名を通してみえてくるものがある。

「2024(令和 6)年 7 月 1 日(月曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


7月御命日法要
○ 日時 7月 16 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 朝山大峻 師(浄土真宗本願寺派布教使)