今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示
【今月の聖語】
他の過失は見やすく、己の過失は見がたし 『ダンマパダ』
ある時、四人の僧が一本のロウソクをまん中に置いて、決して声を出してはいけない無言の行を始めました。
夜になり風が吹き戸がカタカタと揺れます。最初は四人とも黙っていました。しかしやがてすきま風でロウソクの炎が消え、「あっ火が消えた」と思わず一人の僧がしゃべってしまいました。するともう一人の僧が、「こら今はしゃべってはいけないのだぞ」と注意しました。そして別の僧が「そういうお前もしゃべっているではないか」と、やはりしゃべってしまいました。これで三人とも無言の行は失格です。そこで、ずっと黙っていた最後の一人が「結局しゃべらなかったのは、私だけだ」と声に出してしまいました。
私たちは、他人の欠点や、過ちにはすぐに気付きます。しかし、自分の欠点や、過ちにはなかなか気付けません。「あいつがまちがっている」「自分だけはまちがってない」と思い込んでしまいがちなこの私。今月の言葉とあわせて味わってみましょう。
【今月の言葉】
出会わねばならない ただひとりの人がいる それは私自身
廣瀬 杲
文化祭、体育祭、そして校外学習、と。学校行事が続きました。クラスを解体しいつもとは異なる仲間と活動したり学びを深めたりする機会があったのではないかと思います。日頃は関わりが少ない先生・先輩後輩・社会の大人の方などにも接した人も多くいます。
その中で多くの他者との出会いがあったと思います。簡単な会話だけではありません。疎(うと)ましい事をいわれたり、逆に心の底から感動したような出会いもあったかもしれません。いずれにしても起こった事実は、自分ではない他者と出会ったということです。
しかしどのような出会いも、実は私自身との出会いでもあったと言えます。何も知らなかった自分。些細なことで怒ってしまう自分。他者を通じてこそ、そうした私自身が明らかになったからです。
他者とは人間だけではありません。仏さまとの出会い、教えとの出会いを通じて、本当の意味で私自身が明らかになる。今月の言葉はそのようなことを示そうとしているのです。