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2025(令和7)年1月 今月の聖語・言葉について 2025年01月01日(水)12時00分

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今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示

【今月の聖語】
人身(にんじん)受けがたし 今すでに受く  仏法(ぶっぽう)聞きがたし 今すでに聞く     『礼讃文』

  釈尊の教えに次のようなものがあります。
  ある時釈尊は、大地の砂を手にすくい、弟子たちに次のように質問しました。「この手のひらの砂の数と大地の砂の数は、どちらが多いでしょう」弟子は答えました。「もちろん大地の砂の数の方が多いです」すると釈尊は、静かにうなずかれて、「その通りです。この世の中に生きているものは大地の砂の数くらいたくさんいるけど、人間としていのちを恵まれるものは、手のひらの砂の数ほどわずかなものだよ」と答えられました。そして、今度は手のひらの砂を指の爪ですくい、重ねて質問しました。「手のひらの砂の数と、指の爪の上の砂の数は、どちらが多いでしょう」弟子は答えました。「もちらん手のひらの砂の数の方が多いです。指の爪の上の砂の数は、ほんのわずかです」すると釈尊は、深くうなずかれて、「その通りです。同じ人間としていのちを恵まれながら、仏の教えに出あえるものは、ほんの爪の砂の数くらいしかいないのです。だからこそ、人間としていのちを恵まれ、仏法に出あえたことを大切にしなければなりません」と言われたということです。(本願寺出版社『みのり』より)   
  不思議なご縁でこの世に人として生まれ、そして平安で仏法に出遇いました。この尊いご縁を今年も大切にし、日々過ごしてほしいと思います。

【今月の言葉】
明日の目的のために今日を生きているのではない  今日が全部だ     安田理深

  今月の言葉は、真宗大谷派の僧侶である安田理深という方のお言葉になります。
  親鸞聖人が九歳の時に詠まれたと伝えられる「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは(明日があると思っていても、今は満開に咲いている桜が、夜中に嵐が吹いて散ってしまうかも知れない。それと同じように、この私の身も心も明日はどうなるかわからない)」という和歌と重なるように思います。親鸞聖人が得度(僧侶になること)されるとき、夜も遅く、明日にしようかと促されたそうです。その時にこの和歌を詠まれ、その日のうちに得度を終えられ、僧侶としての人生が始まりました。
  仏教には「無常」という教えがあります。すべては移り変わっていくことを意味します。誰しも当然のことながら、一分先、一時間先、一日先のことはわかりません。ましてや、明日があると思っていても、本当に明日を無事に迎らえるかはわかりません。今月の言葉で述べられる「今日が全部だ」という気持ちで、今日を大切に過ごしていきたいですね。「明日でいいか」とつい先延ばしにしがちな私たちですが、新年を迎えるにあたり、「今日」という時の尊さを改めて教えられる言葉だと思います。  合掌