本日は10時より、本校講堂にて報恩講を勤修しました。ちょうど親鸞聖人の祥月命日となります。ご講師は本願寺派布教使の野田茜先生で、「阿弥陀様の願い」をテーマにご法話いただきました。
道徳の教科書にも採用されている「聞く地蔵と聞かぬ地蔵」のお話を紹介されました。ある村に年をとったお坊さんがやってきて、村人たちが親切にしてくれたことから、村人たちに2体のお地蔵さまを置いていかれました。1体は何でも願いを聞きとどけてくださるお地蔵さま、もう1体はお願いごとを聞きとどけてくださらない聞かぬお地蔵さまです。お坊さんが「聞くお地蔵さんより聞かぬお地蔵さんにお参りする方がいいぞ」と言ったにも関わらず、村人たちは聞くお地蔵さまにさまざまなお願いをし、それぞれが自分の願いを叶えていきました。すると、自分と同じように幸せな人を見ると腹が立つようになり、人の不幸を願うようになって喧嘩が絶えない村になってしまいました。再びその村を訪れたお坊さんは、村人たちに「聞かぬお地蔵様をお参りしなさい」と言いました。村人たちは「ハッ」と気づいて、聞かぬお地蔵様に黙って手を合わせるようになり、その村は平和になったというお話でした。
阿弥陀様は、私の願いを何でも聞いてくださる聞く仏様ではありません。私の願いを阿弥陀様に聞いてもらうのではなく、阿弥陀様の一番大切な願いを聞くことです。阿弥陀様の願いとは、この私たち一人ひとりを仏にしたいという願いです。私の願いを全部聞いていくことが幸せになるのではなく、相手のことを願っていくことこそが、自分も相手もまことに幸せになれることだと見にいてくださっているのです。だから、阿弥陀様は私たち一人ひとりを願ってくださっているのです。野田先生は阿弥陀様の願いについて触れつつ、「心の底から誰かに願われていることに気づいたときに、大きなすごい力を与えてくださり、私の小さな願いや欲望は必要なかったなぁと気づくこともあるんじゃないか」とお話されました。
本校の日常の心得のなかには、「願われているいのち」があります。生徒たちは今日のご法話を通して、阿弥陀様をはじめ、身近な方たちを思い浮かべながら聞いていたことでしょう。