今月の聖語・・・正門聖語板
今月の言葉・・・教室掲示
【今月の聖語】
自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして自分の主であろうか。 『ダンマパダ』
私たちは自分のことは自分が一番わかっているし、コントロールできると思うことがあります。しかし苦しいときや悲しいときは思わず現実から目を背けたり、困難に出会ってもどこか他人事のようにふるまったりします。人生の主人公として生きているつもりが、案外思い通りにならないのがこの自分だともいえるのです。
だからこそ周りに多く支えられて生きています。しかしどれだけ他者が寄り添ってくれたり助けてくれても、自分が老いて病んで死んでいく苦しみは誰も代わってくれません。
釈尊が「自己こそ自分の主」だと述べられるのは他でもなく自分自身が人生の苦しみも悲しみも困難も自分事として引き受けて生きていかなければならない。そして同時に苦からの解放の道である仏教も自分事として受け止めることが重要だと示されているのです。
今月の涅槃会は、釈尊がこの世のいのちを終えられたことを偲び行われる行事です。聖語を味わいながら、釈尊が遺されたメッセージに耳を傾ける機会にしてくださいね。
【今月の言葉】
人も草木も虫も 同じものは一つもない おなじでなくてみな光る
榎本 栄一
「十人十色(じゅうにんといろ)」という言葉がある通り、人は考え・好み・性質などがそれぞれ異なります。さらに人だけではありません。草も木も虫も動物も同じものは一つもありません
しかしどの存在も同じでなくて、すべて光り輝く存在であると今月の言葉には示されます。これはどういうことでしょうか。
仏教ではすべて生あるものはことごとく仏となる可能性があると説かれます。仏道を歩む者に優劣はなく聖者でも悪人でも生きとし生けるものすべてが仏になることができるというのです。
作者である榎本さんは、浄土真宗のお念仏の教えの味わいを多くの詩に表現されてこられました。今月の言葉も阿弥陀さまの計り知れない智慧の光と慈悲のぬくもりを感じながら作られたものでしょう。最後の「みな光る」という結びは、みな阿弥陀さまの救いの中にあり、仏さまのお悟りの光を宿してすべてが光輝く尊い「いのち」を生きていることが示されているのです。