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2月御命日法要 2025年02月18日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 
  「花の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の知るべく」。『古今和歌集』に小野篁(おののたかむら)の歌としてみられる。花が雪に紛れて見えないとしても香りだけは匂ってほしいものだ、という心に読み取れる。梅の花だと思われるが、花と香りは一つのもので切り離すことはできない。見えなくても香りから花の姿を思い浮かべることができる。
 香りと姿で言えば、「姿より香りに生きる花もある」という言葉もある。外形だけで判断してはならないことを示すことばともとれる。秋に咲く金木犀(きんもくせい)の花はどこかひかえめだが、香りは別名九里香と言われるほど、よい香りを遠くまで放っている。「香りに生きる」ということばもどこか、宗教的な生き方を想起させる。
 よい香りのする栴檀(せんだん)。木は枯れてもそこかしこに香りを漂わせていることから、「栴檀しのの枯れても残る香りかな」。亡き人を偲ぶときに用いることがある。「香り」ということばそのものが心を癒やし、心落ち着かせてくれる雰囲気が宿されているようだ。
 親鸞聖人は「香り」を和讃に詠まれている。「染香人(せんこうにん)のその身には香あるがごとくなり これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳(こうこうしゅうごん)とまうすなる」。仏の智慧に染まった人、すなわち念仏者は芳かんばしい香りにつつまれて、安らぎと心なごむ雰囲気を感じとることができる、と詠われている。「昔、広島地方では、念仏者には独特の香りがあると言われていた」という先輩のことばを、雪の朝に思い出した。

「2025(令和7)年2月1日(土曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


2月御命日法要
○ 日時 2月18日(火) 16:00~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 渡辺 有 師(浄土真宗本願寺派布教使)