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2020(令和2)年12月 今月の聖語・言葉について 2020年12月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
一丈の堀を越えんと思わん人は、一丈五尺を越えんと励むべし。
『勅修御伝(ちょくしゅごでん)』 
                            
  今月の聖語は、浄土宗の開祖である法然聖人のお言葉です。『勅修御伝』という法然聖人の絵伝にあり、「一丈(約三メートル)の壁を乗り越えようと思う人は、その一・五倍努力しなければ、確実に飛び越えることはできない」ということです。「目標は高く持つ」とよく言われますが、理想的でないあまりに高い目標を設定すると、かえってしんどくなり、実現が難しくなります。しかし、目標設定する上で、ギリギリでやっと乗り越えられる目標よりも、それ以上の力を身に付けて乗り越えたいものです。
みなさんが目標設定をする上で、どんな小さなことでも手を抜かず、前向きに取り組み、つねに最善を尽くすこと。そうした努力を続けていくことで、一歩上の目標に達することもできるのではないでしょうか。もうすぐ新しい年を迎えます。すでに来年に向けて大きな目標を掲げている人もいるでしょう。今月の聖語にならい、その目標に向かって努力を惜しまず、取り組んでみてください。

□今月の言葉
人生はやり直すことはできないが 見直すことはできる  金子大榮(だいえい)

今年も終わりに近づきました。この一年を振り返ると、「あのときに戻ってやり直したい」と思うことがあるかもしれません。今年の三月から、新型コロナウィルスの影響により、できるものもできなかったということもあったでしょう。
今月は金子大榮先生(真宗大谷派の僧侶)のお言葉ですが、私たちの人生は一度かぎりのものであり、二度の人生はなく、一度通ってきた人生という道を、なかなか変えられるものではありません。学校生活においては、テストが良い例でしょう。朝テストをはじめ、SUTや考査の答案が返ってきた際、もちろんやり直すことはできません。しかし、どこが間違っていたか、どこができていなかったのかは見直しをすることによって再確認ができます。金子先生が言われるように、見直すことはできるのです。見直すことによって、今後の人生(または勉強)に生かすことができ、また良い方向に変えることも可能です。今月の言葉を通して、みなさんも今までのことをぜひ見直してみましょう。

2020(令和2)年11月 御命日法要について 2020年11月17日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【11月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

新型コロナウイルスの影響で客足の遠のいた映画館が、久しぶりに活気づいている。劇 場版アニメ『鬼滅 き め つ の 刃 やいば 』のおかげである。ニュースに映し出される見終わった人たちの顔 を見ると、映画が与える影響力をあらためて感じさせる。 宗門では平和学習の教材として、映画『ドキュメンタリー沖縄戦―知られざる悲しみの 記憶』が製作された。昨年 12 月 9、10 日の 2 日間限定で、那覇市で完成披露上映会を行っ たところ、観客から「一人でも多くの人に観てもらいたい」という要望が相次ぎ、全国 27 の映画館での上映につながった。そして 10 月、米国で開催された「ロサンゼルス日本映画 祭」でドキュメンタリー最優秀賞を受賞した。 私も京都シネマで鑑賞した。沖縄戦体験者や研究者の声、米軍の記録映像が収録された 貴重な映像だった。今まで見聞きしてきた戦争の写真や体験談以上に戦争の恐ろしさをス クリーンを通して強く感じた。舞台挨拶した太田隆文監督は「沖縄の慰霊の日(6 月 23 日) の式典を訪れたときに乗ったタクシーで、運転手さんから『よく来てくれた』とお礼を言 われた」と話した。沖縄の深い悲しみを知ることが、どれだけ大切であるかを教えられた。 今年は戦後 75 年という節目の年だ。戦争体験者も少なくなっている今、この映画が製作 された意味は大きい。各教区教務所に DVD とブルーレイが配布されている。まだご覧にな っていない人、特に若い世代にはぜひ一度、観ていただきたい。

「2020(令和 2)年 11 月 10 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

11 月 御命日法要
○ 日時 11 月 17 日(火)16 時 00 分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ

2020(令和2)年11月 今月の聖語・言葉について 2020年11月01日(日)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
 善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや  『歎異抄』
 
 親鸞聖人が示された有名なお言葉です。日本史や倫理の教科書に示され、かつてセンター試験(現共通テスト)にも出題されたことがあります。「善人でさえ往生できる。ましてや悪人ならなおさらだ」という意味です。
 往生というのは、仏の悟りの世界である浄土に生まれるということです。善い行いを積み重ねることで悟りに向かうというのが一般の道理です。ところが、善人よりも悪人こそが往生すなわち悟りに向かうことができるというのは、どういうことでしょうか。
 ここでの悪人とは、道徳的に悪いということではなく、阿弥陀仏の願いを聞き、自らの罪悪を深く悲しむ人のことです。また善人とは仏によらずとも、自らの善なる行いによってこそ、悟りに向かえると信じている人のことです。つまり、ここでの悪人とは、道徳的な善悪を超えて、自らが愚かな人間であることを悲しみながらも、そのような存在を対象に「必ず救う」と誓われた阿弥陀仏のお心を慶ぶ人のことをいうのです。  
 無論、浄土真宗では悪事をすすめているわけではありません。「薬あればとて毒をこのむべからず」という先月の聖語とも併せて味わいたいお言葉です。

□今月の言葉
明るい人はすばらしい 悩んでいる人は尊い   林暁宇
 
 「なぜ私は何をやってもうまくいかないのだろう」
 勉強は苦手。クラブ活動も上手くいかない。加えて友達ともうまく付き合えない。悩みを誰にも話したくないし、聞いてくれる人もいない。そんな時、孤独な気持ちになります。暗い人と思われるのが嫌で、明るくふるまおうとしても、どこか空元気。 
しかし悩んでいるそこのあなた。悩んでいるということは、あなたが真剣に自分に向きあ
っている証拠。すぐに悩みを解決する方法が見つからなくても、いいじゃないですか。あせらずにじっくり悩み抜くのも大事なことなのです。仏さまはそのようなあなたに寄り添っておいでです。
 真剣に悩むあなたの姿は、暗いのではなく、尊いのです。

2020(令和2)年10月 御命日法要について 2020年10月13日(火)09時00分

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2020(令和2)年度 御命日法要【10月】                       
私たちのちかい  一、自分の殻(から)に閉じこもることなく
           穏(おだ)やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲(じひ)に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯(せいいっぱい)つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

日常の言い方をひっくり返した「眼で聞き、耳で見る」ということばがある。「眼で聞く」とは、われわれをとりまく物質を見る眼で聞くというのである。これは「目で見ているものが語りかけてきて、それを聞く」というようなことばを補わなければ理解できないだろう。
たとえば、広島平和記念資料館には被爆の実相を記す展示が並んでいる。それらは何かを語り、何かを訴えかけている。もちろん、声で聞こえるものではないが、確かに語りが聞こえてくる。それは、聞く側に受け入れる準備がととのっているからでもある。先日、本紙で紹介された被爆ピアノもそうだ。音だけでなく、奏でる奥にあるものを聞いていくとき、はじめて、そのピアノと向かい合うことになる。
また、「耳で見る」という語については、眼に見えないけれど、聞こえてくるものによって状況を把握したり、頭に描いたりすることである。朝、スズメの鳴き声で目が覚める。いつも餌をやるので朝、庭に遊びにくる。そういう様子は眼には見えなくても声によって想像することができる。
このように、「眼で聞き、耳で見る」という表現の根底には、「他を思うこころ」があるといえよう。かつて、このようなことばに出会ったことがある。東北の被災地を見舞うときは、眼で聞き、耳で見るような気持ちで訪ねるべきだと。被災者の声なき声を眼で聞き、発する言葉の奥にあるものを見ていくというような出会い方をいうのであろう。
「2020(令和2)年10月1日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

10月 御命日法要
○ 日時 10月13日(火)16時00分~
○ 場所 講堂
○ 法話 ※勤行(讃仏偈)のみ            

2020(令和2)年10月 今月の聖語・言葉について 2020年10月01日(木)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語
薬あればとて 毒をこのむべからず  親鸞聖人

 今月の聖語は、親鸞聖人が京都から常陸国(茨城県)に住む弟子に向けて書かれた手紙に出てくる内容のものです。現代語訳すると、「いくら薬があるからと言って好んで毒を飲むべきではありません」ということです。これは、阿弥陀仏の救いは、悪を犯してもさまたげにならないからといって、わざと悪を造ること勧める誤った理解に対して指摘されているものです。つまり、阿弥陀仏の救いを「薬」に、わざと悪を造ることを「毒」に譬えています。
 親鸞聖人は阿弥陀仏に照らされ、自己を深く内省されました。そして、自らを煩悩具足の愚か者(悪人)だとして「愚禿(ぐとく)親鸞」と名のられました。このように自身のあり方を深く内省し、恥じる姿と阿弥陀仏に甘えてわざと悪を造るあり方には大きな違いがあります。
 みなさんの日常にも置き換え考えてみてください。心に甘えが生じ、「薬」があるから大丈夫だと安心し「毒」を好んでいるようなことはないでしょうか。親鸞聖人のお言葉に当てはめて一度自分自身の心を振り返ってみましょう。


□今月の言葉
見えないところがほんものにならないと 見えるところもほんものにならない  東井義雄

 この言葉は、人間の内面的で、姿・形として目には見えない「心のあり方」の大切さについて述べられているように感じます。
 今から約9年前になりますが、東日本大震災直後にテレビで流れた公共広告機構のコマーシャルで紹介されていた詩を思い出しました。宮澤章二氏『行為の意味』に掲載されているものです。
  「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見える
  「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える
その人の「心のあり方」が、言葉や行動に表れるからこそ、相手に伝わるものがあり、心が動かされるのだと思います。逆を言えば、上辺だけ飾ったような言葉や行動では、なかなか相手には響かないものだと感じます。
 スポーツの世界においても大切にすべきものとして「心」・「技」・「体」という言葉が用いられ、この3つのバランスが重要であることはよく耳にします。ここでも「技」・「体」より先に「心」が語られています。まず「心」ありきなのですね。
 最後に今回紹介した東井義雄さんの言葉ですが、「見えないところが見えるところを支えている」とも述べられています。この言葉の意味も併せて味わってみてほしいと思います。  合掌

2020(令和2)年9月 御命日法要について 2020年09月15日(火)09時00分

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私たちのちかい  
一、自分の殻に閉じこもることなく
  穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
  微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
  しなやかな心と振る舞いを心がけます
  心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく 
  人と喜びや悲しみを分かち合います
  慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
  日々に精一杯つとめます
  人びとの救いに尽くす仏さまのように

 空を流れる雲の形、野山のススキの穂、庭の草花、すだく虫の音に秋の訪れが感じられる。自然の変わっていく様子に季節の移ろいをみることができる。そして、その変化に合わせて人々は生活を営んできた。しかし最近、「衣替え」のような季節の区切りを象徴する言葉があまり聞かれなくなった。食べ物で季節感を味わうということも少なくなったようだ。電車から見える大きな月を眺めようとする人もほとんどいない。みな下を向いて指を動かしている。仲秋の名月に関心を持つ人も数少なく、自然と人間との距離が大きくなっていることの証左であろうか。今年は春から夏、そして秋へと、自然にふれる時間もこころの余裕もなかった。気がつけば、秋の入口に立っていた。そして、この先は冬が待っている。人生を四季になぞらえ、たとえることも多い。長い人生も一年という時間に比定できるとすれば、本当に短く感じられてくる。かつて『青春の門』を著した五木寛之氏の、老いをテーマにした本のタイトルはルは『玄冬の門』の門』である。冬をどう迎えるかである。
 善導大師は「無常偈」で、草花を採って日中に置くとすぐに枯れてしまう。人の命もそのようなものだ、と教え示される。いま、青春のただ中にいる人は、このことばも耳に入らないかもしれない。だが、誰も一人残らず玄冬という時期に入っていくことは確実である。何のために生まれてきたのか、思い尋ねていきたいものである。
020(令和 2)年 9 月 1 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」

9月御命日法要
○日時 9月 15 日(火)16 時 00 分~
○場所 講堂
○法話 ※勤行(讃仏偈)のみ
◎みなさん、お揃いでお参りください。

お彼岸について 2020年09月11日(金)09時00分

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「暑さ寒さも彼岸まで」
もうすぐ秋のお彼岸ですが、なかなか暑い日が続いております。
 ところで、お彼岸の時期には仏教の大切な行事「彼岸会(ひがんえ)」が行われます。
 ぜひ、添付データをご覧ください。

新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター 2020年09月11日(金)08時00分

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 本願寺より、新たな「新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター」が発行されました。(添付データ)
 また、3枚のポスターに関するメッセージ文を、以下それぞれ転載致します。
 未だ収束されないコロナ禍。不安の中にあっても、仏さまは私たちと共にいてくださる。そう思えるところに、力強く生きていける世界が開けてくるのではないでしょうか。ぜひ、ご覧頂き、メッセージ文もお読みください。

①『無常』

 変わり続ける世界。変わり続ける私。仏教が説く「無常」の教えは、何ものも永遠に固定的で変わらないものなど存在せず、事象はすべて変化し、うつり変わるものだという真理を教えてくれています。このことをお釈迦さまは、

こと・ものすべて無常なりと、智慧をもて見通すときにこそ、実に苦を遠く離れたり。これ、清浄にいたる道なり。(ダンマパダ)

と説かれています。ここでは、無常の道理をありのままに知ることが、さとりへと至る道であると示されています。

 しかし現実の私は、変わり続けるものに日々、翻弄(ほんろう)され、出会いや別れの一つひとつに、悲しみや喜びの涙を流しながら苦悩の人生を生きています。それが偽らざる凡夫のすがたです。

 苦悩を抱えて泣き笑いする、この凡情を断ち切ることのできない私の想いのそのままに、「南無阿弥陀仏〈必ず救う、われにまかせよ〉」とのよび声として、いまここにお浄土への道をともにしてくださっているのが、阿弥陀さまという仏さまです。

 専如ご門主の「親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年についての消息」には、

仏教は今から約2500年前、釈尊が縁起や諸行無常・諸法無我というこの世界のありのままの真実をさとられたことに始まります。翻って私たちは、この執われのないおさとりの真実に気づくことができず、常に自分中心の心で物事を見て、悩み、悲しみ、あるいは他人(ひと)と争ったりしています。釈尊は、このような私たちをそのままに救い、おさとりの真実へ導こうと願われたのが阿弥陀如来であることを教えてくださいました。

とご教示くださっています。

 「今日もあなたと一緒だよ。一緒に生きていこう。」阿弥陀さまの願いにつつまれて、「ナンマンダブ」とともに生きていく時、決してひとりぼっちではない安心の人生が開かれていきます。

②『落ちつく』

 新型コロナウイルスの感染拡大が続き、さまざまな不安を抱えながらの生活を余儀なくされています。そのような今だからこそ、私たちの家族や先祖が大切にされてきたものは何か。そのことを見つめ直す機会として、お過ごしいただきたいと思います。

 慌ただしく、移り変わりも早く、先行きも見えない。そのような私たち一人ひとりに対して、阿弥陀さまは、「あらゆるいのちを分け隔てなくおさめ取ろう」と、たえずよびかけておられます。阿弥陀さまの大いなる慈しみの心に包まれていることに気づくとき、私たちの心に安らぎがもたらされます。

 およそ550年前、本願寺第8代宗主蓮如上人は、「南無阿弥陀仏」という六字のお名号をたくさんお書きになり、浄土真宗のご本尊として各地の門弟に送られました。それは、その場その場にご本尊をもつことの意義を見いだされていたからです。そのお心は、お仏壇として現代に伝えられています。

 仏さまの前に座って、心新たに一日を迎え、心静かに一日を閉じていく。お仏壇を安置して、仏さまと向き合う時間をもつことは、仏さまの温かいお心に感謝しつつ、一日一日を心豊かに生きていくことにつながります。

 近年は、住宅事情の関係もあって、ご自宅にお仏壇を置かれていない方も増えてきているようです。そのようなみなさまには、折々の機会にふるさとのお仏壇にお参りいただくだけでなく、それぞれの環境に合ったお仏壇をお迎えいただくようお勧めしています。


③『恩』

 テレビドラマのセリフがきっかけとなって、いま「恩」という言葉が注目されています。「恩情」という語に表されるように、「恩」とは、恵みや情けのことで、他の人から恵みや情けを受けることをいいますが、仏教では、より深い意味があります。

 漢字の「恩」は「因」と「心」からなります。因を尋ねる心です。私たちが今こうあるのは、突然の出来事ではなく、さまざまな原因が重なり合い、あらゆるものに支えられて、生きている結果です。このことを心に深く考えることを「恩」といいます。

 私という存在は一人で生きていくことはできません。一滴の水も、一吸いの空気も、すべてはいただきものです。いのちもそうです。決して自分だけでつくったものではありません。そのような、私を支える大いなる恵みに「心」をかけ、感動している姿を、「恩」という一字のなかに味わうことができます。

 連綿とつらなるいのちの関係性に想いを馳せ、大きな恵みや支えに対して「有り難いこと」、「お蔭さま」と受けとめていく時、私たちは決して返しきることのできない、深い「ご恩」の世界に気づかせていただくのです。

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねをくだきても謝すべし
 (親鸞聖人「恩徳讃」、『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)

 親鸞聖人は、仏さまの「ご恩」、そしてみ教えをお伝えくださった多くの方の「ご恩」を讃えられるとともに、その「ご恩」に応えていく生き方をすすめられました。

 この度のお彼岸は、コロナ禍の中で、不安を感じながら迎えることとなりましたが、それぞれの場で、仏さまの大きな「ご恩」を聞かせていただき、いのちのつながりを知るご縁といたしましょう。

 

2020(令和2)年9月 今月の聖語・言葉について 2020年09月01日(火)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示

□今月の聖語

蟪蛄(けいこ)春秋(しゅんじゅう)を識(し)らず 伊虫(いちゅう)あに朱陽(しゅよう)の節を知らんや  『往生論註』

 今年の夏は猛暑厳しく、お盆を過ぎても蝉の鳴き声が聞こえていました。ようやく9月に入りましたが、まだまだこの暑さが続きそうです。
今月の聖語は、中国浄土教の開祖である曇鸞(どんらん)大師の言葉です。「蟪蛄」とは蝉のことで、「伊虫」とはこの虫という意味、「朱陽の節」とは夏のことです。つまり、「蝉は、春や秋を知らない。だから、今が夏だということも知らない」という意味です。 
 私たち人間が夏という季節を知っているのは、春や秋、冬を知っているからです。蝉は夏に鳴き続け、秋を知らないまま命尽きてしまいます。蝉の命は短命で、夏の期間を一所懸命鳴いていると印象があります。蝉の種類によって異なりますが、蝉は地中で幼虫の期間がかなり長く、成虫になっても3週間から1ヶ月は生きます。小学生のころは蝉をよく捕まえたものですが、成虫した蝉はエサが木の樹液のみのため、飼っても一週間も生きられません。そういう理由から、「蝉の寿命は一週間」というイメージが定着していったようです。蝉が精一杯鳴きながら、この夏を生きた姿を見て、私たちの命も儚(はかな)く、限りがあるということをあらためて再確認したいものです。

□今月の言葉

あやまちを指摘する人は、宝のありかを知らせる人  『ダンマパダ』

人から叱られたり、注意されることは気持ちの良いものではありません。ときには腹が立つこともあるでしょう。相手の言い方にもよりますが、あなたのことを思って叱ってくれる存在がいるのなら、その人を大切にすべきです。そして、その人の言葉をしっかり受け止める姿勢を持ちましょう。
ところで、「怒る」と「叱る」の違いを知っているでしょうか。「怒る」というのは、自分が腹を立てたことを相手にぶつけることで、自分のためのものです。それに対して、「叱る」というのは、相手に良くなってもらいたいという気持ちがあり、これは相手のためのものです。ですから、本気で叱ってくれる人は、きっと大切なこと(=宝)を教えてくれているはずです。叱られたときに素直に受け止めることができれば、それが自分を成長させるきっかけになるのではないでしょうか。

お盆について 2020年08月08日(土)09時00分

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 本校の今年度の夏季休暇は、例年よりも短いものとなりました。コロナ禍の影響で帰省もままならない状況かもしれませんが、限られた休暇を充実したものにしてくださいね。
 ところで、夏季休暇中にお盆があり、仏さまにお参りして、ご先祖を偲ぶ機会があるかもしれません。実は、お盆の起源は仏教です。お盆の由来や、お盆を迎える心構えなどがまとめられたものが、本願寺から発刊されております。添付データをご覧ください。
 束の間の休みですが、生徒のみなさんにとって、いまの自分の「いのち」について、ゆっくりとご家族や親族と考えられる機会になればと願っております。