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平成29(2017)年度 御命日法要【7月】 2017年07月14日(金)17時21分

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 7月1日。今年も折り返した。この機会に、それぞれの前半を振り返ってみるのもよい。「よかった」と思う人、「ああしておけばよかった」と反省する人、いろいろと分かれるだろうが、心機一転、真新しい気持ちで後半に臨みたい。
 この気持ち、何も1年だけのことではない。人生もそうである。どこかで区切りをつけて、今日までの人生を振り返り、今日という真新しい1日を、真新しい気持ちで臨みたい。かく言う私は、いつ人生を折り返したのかを意識もしていなかった。いつまでも走り続けたい気持ちはあるが、とっくに折り返しを過ぎたのは間違いない。しかも、ゴールまで残りがどれだけあるのか…。
 もう40数年前にもなるが、本願寺でお話しされた故・利井興弘さんの言葉を思い出す。「親鸞聖人のご生涯は、慚愧(ざんき)、歓喜(かんぎ)、報恩の連続だったのでは…」と語られ、その3つを味わわれて「お恥ずかしいからありがたい。ありがたいからもったいない。もったいないからありがたい。ありがたいから恥ずかしい」と。今になってしみじみと響く。
 人生の晩年にさしかかっても、自分で都合のよいように思案し、いろいろな出会いに対して善し悪しをつけている。よいこと、悪いことであろうと、すべてはわが人生の大切な出会い。一つ一つの出会いを通して、「お恥ずかしい」「ありがたい」「もったいない」と味わうところに、今日1日を真新しく、大事に生きることができるのではないだろうか。(F)
(2017(平成29)年7月1日 本願寺新報 コラム「赤光白光」より)

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成

7月 御命日法要 
○ 日時 7月14日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 寺村 篤 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年07月01日(土)14時16分

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七月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【6月】 2017年06月16日(金)07時46分

【ご案内】                         

伝灯奉告法要御満座の消息

昨年の十月一日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。十期八十日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。
昨年の熊本地震から一年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から六年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったということができます。
自分さえ良ければ他(ほか)はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。
凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、
凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏な  れ、仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましよう。
と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。
今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二○二三(平成三十五)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。
改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。
み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましょう。

平成二十九年
二○一七年  五月三十一日  龍谷門主 釋 専 如

2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


6月 御命日法要 
○ 日時 6月16日(金)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 林 重厚 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年06月01日(木)07時39分

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六月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板 

平成29(2017)年度 御命日法要【5月】 2017年05月15日(月)10時59分

【ご案内】

 新しい年度がスタートした。満開の桜が新入生、新社会人を祝福するかのように咲き誇っている。4月の陽光に照らされ、日本列島は波打つように春色へと染まっていく。希望に満ちた季節の始まりだ。
 日本人は桜が好きだ。昔から多くの詩歌に詠まれてきた。まるで春を告げるサイレンのように一斉に開花し、あっという間に散ってしまう。天を覆うような咲きっぷりが見事なだけに、散った後の喪失感は時の移ろいやすさ、世の儚さを説くための格好の題材だった。
 桜は寒い間、暗い土の中でエネルギーを蓄え、春を待ちわびたかのように、一気に咲き乱れる。多くの人が行き交う道を、豪華な枝ぶりの老木がトンネルのように彩る光景が各地で見られる。路地裏にひっそりと一本だけ咲く若木もある。どちらも同じように美しい。一晩嵐が吹けば、散ってしまうことも変わりない。
 桜だけではない。何事にも終わりがある。学校にも職場にも、そして人生にもいつか終焉の時は訪れる。学園生活が充実していればいるほど、職場環境が恵まれていればいるほど、その終わりは切ない。諸行無常、全てが変化して止まないが、確かなことは、私たちにはこの世での命が尽きた後、次に生まれる世界があることだ。そのお浄土へ間違いなく救い取ってくださる阿弥陀如来。広大なお慈悲に対して、自然と御恩報謝のお念仏が出る。
(2017(平成29)年4月1日本願寺新報コラム「赤光白光」より)

 「お釈迦になる」という言葉がある。思っていた物と異なる物が出来上がったり、壊れたりして使い物にならなくなったときに使われる。語源には諸説あるが、ある辞典の説に目がとまった。鋳物職人の用語で「火が強かった」ので失敗したのが訛って「しがつよかった」となり、それがお釈迦さまの誕生日の4月8日に聞こえるので洒落で「お釈迦になる」と言ったという。お釈迦さまも苦笑されているかもしれない。
 その4月8日、山あいの小さな寺でお釈迦さまのご誕生をお祝いする灌仏会(花まつり)が行われた。ここ数年、入退院を繰り返していた老僧が「最後かも」と、少なくなった同世代のご門徒に呼びかけた。曾祖父母から曾孫までの4世代の家族連れ、そして仏教婦人会と日曜学校の子たちも集まり、お念仏と笑い声が、春の山野に大きくこだました。境内の未だ蕾の紅枝垂も、きっと目を覚ましたことだろう。
 楽しい時間はあっという間に過ぎた。皆が帰り、静まり返った境内に、夕べを告げる鐘の音。その余韻に、ことさら無常を感じた。今日を楽しく共にした人たちとも、やがて桜の花びらが欠け散るように、今生の別れがある。お釈迦さまが説かれたように「愛別離苦」、愛しい人との別れがやってくる。
 言いようのない寂しさを覚える半面、再び会うことのできる世界が恵まれているよろこびにも包まれた。その確かさ、うれしさに、ナンマンダブツの念仏があふれ出た。
(2017(平成29)年4月20日本願寺新報コラム「赤光白光」より)


2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


5月 御命日法要 
○ 日時 5月15日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 中森寿樹 先生
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年05月01日(月)08時00分

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五月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

平成29(2017)年度 仏参【4月】 校長講話 2017年04月26日(水)09時14分

校長講話

 みなさん、おはようございます。
 さて、みなさんは、2年ほど前の2015年にテレビドラマ化されました『下町ロケット』という番組をご存知だと思います。原作は、池井戸潤さんという小説家で、流行いたしました「やられたらやり返す、倍返しだ」「10倍返しだ」の半沢直樹シリーズの原作者でもあります。
 さて、この『下町ロケット』のモデルといわれていますのは、植松努さんというお方のようです。
 植松努さんは、北海道でリサイクルのマグネットを作る会社の社長で全国各地での講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どーせ無理」を無くし、夢を諦めないことの大切さを伝える活動をしておられます。
 植松さんは、北海道でロケット開発に挑戦されており、私たちが直ぐに口にしてしまう「どーせ無理」を根絶したい!という強い思いを持っておられます。その強い思いはどこからきたのかと申しますと…
 それは、植松さんのお母さんから教わった「思いは招く」という言葉なのです。これは「思ったらそうなるよ」という意味で、はじめから「どーせ無理」と諦めていては夢なんか実現しません。この「思いは招く」という言葉から、思い続ければ、必ず夢は成し遂げられるということを教わったといいます。
 それともう一つは、植松さんのおばあちゃんが教えてくれた「お金は値打ちが変わってしまうもの」という言葉です。
 樺太で自動車会社を運営していた植松さんのおばあちゃんですが、突然のソビエト軍侵略により、貯金していたお金が紙くず同然になったといいます。そんなおばあちゃんが努少年に言った言葉がこんな言葉です。「お金は値打ちが変わってしまうもんだよ。だから、くだらないお金があったら、貯金なんかしないで、本を買いなさい。頭に入れなさい。それは、誰にもとられないし、新しいことを 生み出すんだよ。」と教えてくれたそうです。
 だから、植松さんは本屋が大好きな子どもになりました。そして、植松さんには大好きなおじいちゃんがいました。そのおじいちゃんとの一番の思い出は、アポロの月着陸です。一緒にテレビを見ていた時、おじいちゃんが見たこともないほど喜んでいる姿を、植松さんは今でも覚えているそうです。「人が月へ行ったぞ」「お前も月行けるぞ」と喜んでる姿です。
 だから、いつも本屋に行ったら飛行機ロケットの本を手に取ったそうです。そしたら、おじいちゃんはでっかい手で頭をなぜてくれ、ほめてくれたといいます。きっと、植松さんはおじいちゃんの笑顔が見たくて、飛行機、ロケットが好きになったんだろうと思います。
 植松さんが中学生になった頃の夢は、飛行機やロケットの仕事をすることになっていたということです。しかし、中学校の先生からは「そんな夢みたいなことを言ってないで、テスト勉強をしなさい」と言われます。さらに先生は、「そもそも宇宙なんちゅうものはよほど頭が良くないと無理だ。すごくお金がかかるんだぞ。だからそれは別世界の話だ。お前なんかにできるわけがない」とも言われたそうで、とても悲しくなったと振り返っておられます。
そして、考えたのが…
 「夢ってなんだろう?」できそうな夢しか見ちゃダメなんだろうか?
 でも、「できるかできないかはいったい誰が決めるんだろう」「やってみなきゃわからないはずなのに、やったこともない人が決めるのは、変じゃないのか」「今できないことを追いかけることが、夢っていうんじゃないのか」と思ったそうです。
 そして、植松さんは、一生懸命自分の大好きなことを追いかけます。その結果、それはまわりの人に理解されなくなりました。友達からも先生からも、そして、親からも「そんなことしてて大丈夫なのか?」と言われ、いつも、「意味なくねえか?」「何それ、自慢?」って言われて、どんどん一人ぼっちになっていったそうです。ついに、自分の好きなことをひとに喋ることができなくなってしまいました。
 でも、そんな植松さんを助けてくれた人たちがいました。その人たちは本の中の人たちです。助けてくれたのは、ライト兄弟だったり、エジソンだったり、彼らもまた誰にも信じてもらえない人たちで応援もしてもらえなかった人たちでした。でも、彼らは一生懸命がんばったんです。そして、その人たちが植松さんを助けてくれました。
 だから、がんばれたんですと植松さんは言います。自分の好きなことをもっと好きになり、もっと伸ばしていったんです。そして、紙切りが得意だった植松さんは、それがどんどん発展していって、どんどん物がつくれるようになって、そして、ついに自分の会社をつくってリサイクルのマグネットをつくることができるようになります。
 植松さんが、お母さんから教わった「思いは招く」という言葉、おばあちゃんから教わった「お金は値打ちが変わってしまうもの。だから、本を買いなさい。頭に入れなさい。それは、誰にもとられないし、新しいことを 生み出すんだよ」という言葉を懐に抱き、多くの苦難を乗り越え、今の植松さんがあります。
 今、植松さんは、この日本から「どーせ無理」という諦めの言葉がなくなることを願いつつ、もし、みなさんが「どーせ無理」という言葉に出会ってしまったときには、「だったらこうしてみたら?」って言って欲しい、と言い続けておられます。
 そして、友達に「これをやってみたいんだよね」と言われたら「だったらこうしてみたら?」「こういう本を知ってるよ!」「こう言う失敗をしたことがあるからこっちの方がいいよ!」と応えてくれたら、ただそれだけでいつか「どーせ無理」がなくなって、この世からいじめも虐待もなくなるんです。と植松さんは講演で話されています。
 友だちに、「これをやってみたいんだよね」と言われたら、「だったらこうしてみたら?」こんな会話が世の中に溢れることこそ、相手を思いやり、トゲのある言葉ではなく優しい言葉が飛び交う社会でありたいと願う、本校の『建学の精神』が教えるところであります。それが私たちの自己中心的な見方を変えていくことになるのです。つまり、相手の悲しみや痛みが自分の悲しみや痛みと感じることができる他人への思いやりの心が育まれ、こうした生き方を心がけることが、いのちを磨くことに繋がっているのです。
 毎週一回行われます龍谷大平安での仏参で「南無阿弥陀仏」とお念仏することは、阿弥陀さまのご本願を鏡として自分を照らしてみる、つまり、仏さまの鏡に照らして、今の自分を見つめてみる大切な時間です。
 こうしてご本尊に向かい、私たちが阿弥陀さまのお慈悲に出遇い気づかせていただくことによって、心を磨いているのです。
 みなさんには、ありのままの自分を見つめ心を磨いて欲しい、それが、いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのちを磨き輝かせることになるのだということをお話ししまして本日の仏参のお話を終わります。

平成29(2017)年度 御命日法要【4月】 2017年04月17日(月)08時10分

【ご案内】
 龍谷大学付属平安高等学校・中学校の「建学の精神」は「浄土真宗の精神」です。浄土真宗の精神とは、生きとし生けるもの全てを、迷いから悟りへと転換させたいという阿弥陀仏の誓願に他なりません。迷いとは、自己中心的な見方によって、真実を知らずに自ら苦しみをつくり出しているあり方です。悟りとは自己中心性を離れ、ありのままのすがたをありのままに見ることのできる真実の安らぎのあり方です。阿弥陀仏の願いに照らされ、自らの自己中心性が顕わにされることにおいて、初めて自分中心の勝手な考え方にとらわれるのではなく、広く柔らかな考え方ができるようになるのです。
 本校は、阿弥陀仏の願いに生かされ、真実の道を歩まれた親鸞聖人の生き方に学び、「真実を求め、真実に生き、真実を顕かにする」ことのできる人間を育てます。このことを実現するための日常の心得として以下の3つの「大切」を掲げています。これらはみな、建学の精神あってこその心であり、生き方です。
   ことばを大切に
     正確な言葉・やさしい言葉・ていねいな言葉
   じかんを大切に
     今という時間・青春という時間・人生という時間
   いのちを大切に
     いただいているいのち・願われているいのち・支えられているいのち

◎龍谷大学付属平安高等学校・中学校~「徳育(宗育)」の具現化
日常の心得として、「ことば・じかん・いのちを大切にする生き方を学びましょう」と呼びかけています。ことばは「お名号」のこと、じかんは「無常」のことで、この世のありとあらゆるものは時々刻々と移り変わることを意味しています。いのちは「お浄土」のことです。これを中学生にも高校生にもわかりやすい形でことば・じかん・いのちの三つを大切にということで示しています。いのち・じかん・ことばの順で説明いたします。
 まず、いのちについて説明します。私のいのちを考えてみますと、前生(生まれる前)・今生・後生(死んでから)と分けられます。その中で、私たちは、今生(こんじょう)だけをいのちと考えがちです。しかし、私は今生の限りある有限の生物的な生命を過ごしているにすぎないのです。父や母や祖父母などこの先祖のだれが欠けても生まれてこなかったいのちなのです。そう考えるとき、どうして私の誕生があったのかという前生(ぜんしょう)と、死んだあとはどこへ行くのかという後生(ごしょう)と、つまり、私たちのいのちは今生だけの限りある、そこで終わるいのちではなく、阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るのです。真実(まこと)の世界に生まれかわる、つまり、お浄土に往(い)って生まれる浄土往生なのです。
 次に、じかんについて説明します。先ほど言いました私たちは阿弥陀さまのおそばで無限の宗教的生命を得るということに気づくのは、今をおいてほかにはありません。時間とは無常です。諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日、もっと言うなら、今、すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。(仏の教えではなく仏に成る教えです)
 最後に、ことばについて説明します。では、後生(ごしょう)は往生浄土と、どなたが決めてくださったのでしょうか? それは阿弥陀如来になられる法蔵菩薩さまの18番目の本願に「衆生(しゅじょう)を仏にせずにはおれない」で約束されています。私たちは弥陀の号(みな)である南無阿弥陀仏を呼ぶのです。声に出すのです。実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぼう)」なのです。
以上をまとめますと、いのちを大切にする生き方は、すなわち、じかんを大切に生きる姿そのものであります。そして往生は臨終によって定まるのではなく、信ずる心「信心」が定まる時に定まるわけですから、私の口を通して発することばこそ、本当に大事にしなければならないのです。


2017(平成29)年 “建学の精神”の伝播と醸成


4月 御命日法要 
○ 日時 4月17日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 学校長
                         ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2017年04月01日(土)10時00分

ファイル 246-1.pdf

四月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2017年03月01日(水)08時12分

ファイル 236-1.pdf

三月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門聖語板