HEIAN BLOG 宗教教育 BLOG

記事一覧

今月の言葉《宗教教育係》 2013年10月01日(火)15時02分

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十月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門 聖語版

今月の言葉《宗教教育係》 2013年09月01日(日)19時07分

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【九月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2013年08月01日(木)13時34分

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八月
今月の言葉 ・・・ 各クラス教室掲示
今月の聖語 ・・・ 学校正門 聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2013年07月01日(月)10時42分

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【七月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2013年06月01日(土)12時42分

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【六月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

平成25年度 仏参講話 中学、高校1・2・3年 2013年05月02日(木)09時57分

平成25(2013)年度

 明治9(1876)年、滋賀県彦根の地に「金亀(こんき)教校」として創立された、本校は、今年5月21日で満137歳になります。創立以来、親鸞聖人のみ教えに基づく心の教育を謳(うた)い、宗教的情操の涵養(かんよう)を理想としてきました。では、宗教的情操の涵養を、具体的に説明しましょう。
 本校では、毎朝仏参をおこなっています。仏参は、文字どおり仏さまにお参りすることをいいます。では、なぜ仏参をおこなうのでしょう。
 私は毎日食事をします。多くのいのちを殺して食べています。それを教えてくれるのが「いただきます」という言葉です。ある幼稚園児が「ぼくの家は給食費を払っているから、いただきますなんて手を合わせなくてもいいんだ」と言って、幼稚園の先生を困らせたそうです。園長先生は「実は私たち一銭も払っていないんです。確かにお金を払っていますが、それはお米やお魚、お肉を扱う人間の手間賃と経費です。私たちは牛さんや豚さんたちには一銭も払ってませんし、海に行ってお魚に餌をあげていません。だから、ごめんなさい、あなたのいのちを殺していただきますと言うのです」と教えてくれました。
 だから、「ごめんなさい」と謝らなければならないのは私のほうです。仏さまのみ教えに生かされるとき、「いただきます」「ごめんなさい」という生き方が恵まれるのです。
 仏参は「私を救わずにはおけない」という仏さまの願いを聞かせていただくためにおこなわれるものです。ましてや私の願い事をかなえるためにお参りするのではありません。静坐(せいざ)して、「合掌・礼拝(らいはい)」をおこなう姿は人間の最も美しい姿だといえます。
 そういう意味でも「仏参」は、自分とむき合う時間と位置づけられるでありましょう。この「仏参」をはじめ様々な「宗教行事」を通して、宗教的なものの見方が、私たちの心に、自然に染み込んでいくのです。こうして、仏教的なものの見方ができることと、素直に人の話を聞く姿勢が自然に身についてくるのです。これこそが「宗教的情操の涵養」なのです。
 先日、京都女子中学校・高等学校の前校長先生から「薫習(くんじゆう)」と題された御本を頂戴いたしました。その中のお話を一つ紹介いたします。

  自然の中で 雨が降るように
  人生の中でも 雨が降る
  そんな時
  あなたを頼ってきた人に
  雨やどりをさせてあげられる強さを
  育てていってほしい
           「心にしみた忘れられない言葉」より

 雨にぬれて困っている人に、そっと傘をさしかけてあげる人はいますか。
 両やどりをさせてあげられる軒先のような人はいますか。

 仏教に布施(ふせ)の行(ぎよう)といって、他の人にものを施したり、教えを説いてあげたりすることがあります。しかし、ものを施すこと以外に施すことのできるものとして「無財(むざい)の七施(しちせ)」と言われる七つの行いがあるのです。「無財」とは、お金や品物のことではなく、真心(まごころ)をもって接することです。

 その一つは「眼施(げんせ)」といいます。やさしい暖かい眼ざしで周囲の人々の心を明るくするように勤めることです。「眼は口ほどに物を言う」とか「眼は心の鏡」とも言われますように、人間の眼ぐらい複雑な色合いを写し出すものはありません。その眼にたたえられた和やかな光は、どんなにか人々をなぐさめ励ますことでしょう。とくに落ち込んでいるときなどは優しい眼差しに見つめられるととっても元気になります。優しい眼差を心がけると不思議なことに自分の心も落ち着いてきます。

 二つ目は、にこやかな顔つきで接する「和顔悦色施(わげんえつじきせ)」です。心からの笑顔にまさる美しさはありません。笑顔はまわりを和ませ、トゲトゲしい対人関係をスムーズにします。自分が苦しい時、辛い時、さびしい時、それを無理して笑うことは苦しいことですし疲れることです。しかし、自分がさびしい時、苦しい時はまわりの人の中にも同じような辛い思いをしている人がいるはずなのです。だからこそ、思い切って、精一杯の笑顔をプレゼントしてあげましょう。あなたの思いやりの心をもらった人は、きっとあなたに感謝の言葉や感謝の眼差しを返してくれるでしょう。それがあなたを支えてくれる力になるのです。

 三つ目は、相手をぬくもりのあることばで励ます「言辞施(ごんじせ)」です。みなさん、振り返ってみてください。今でも覚えているうれしかったことって何でしょう。悲しかったことって何でしょう。友人から、先生から、両親から、あの時、あんなことを言ってもらった。あんなひどいことを言われてしまった。ということはありませんか?おこづかいをもらったとか、何かを買ってもらった、というのもありがたいですが、言葉のプレゼントは相手の心にふかく届き、励まし勇気づけることができます。励ましたい相手、喜ばせたい相手の前で、そっと心を落ち着けて、その人が何をわかってほしいのか、何を望んでいるのか、そっと寄り添ってみましょう。自分の言いたいことや自分の聞いてほしいことでなくて、相手の悲しみや苦しみ、喜びをなるべく共感して、心をこめて接してあげましょう。

 四つ目は、他の人を救うために自分の身を捨てた行いをする「身施(しんせ)」です。みなさんなら、お家のお手伝い、掃除をしたり料理をつくったり、誰かのために何か奉仕することです。冷凍食品よりも、お母さんの手料理がおいしく感じられるのは、そこに思いやりの心がこもっているからでしょう。仏教に、身口意(しんくい)の三業(さんごう)というのがありますが、心(意)や口や体(身)の行いの中でも一番重たいのは、心だといわれます。心が、口や体を動かすからです。時間に追われた忙しい毎日を送っている私たちが人のために何かをするということは、それだけの心がなければできませんね。親や家族、友人から何かをしてもらった時、目に見えるものから目に見えない思いやりの心を感じ取ることができればこんなに幸せなことはないですね。

 五つ目は、「ありがとう」「すみません」などの感謝の心である「心施(しんせ)」です。「ありがとう」という感謝の言葉は、言った人も言われた人も幸せにする素晴らしい言葉だと思います。「ありがとう」というたった五文字ですが、一言いうだけで相手の苦労は報われた気持ちになります。周りを幸せな気持ちにするには、純粋な心、思いやりの心をもって接すれば自分も相手も幸せに生きることができるのです。

 六つ目は、身体を休める場所を施すことで、安らぎを与える所を提供する「床坐施(しようざせ)」です。場所や席を譲り合うような譲り合いの心です。ほとんどの人は意地と我慢で、おれがおれがの我を通そうと小さなことでも譲ることができないものです。意見がぶつかった時、欲しいものがかちあったとき、譲ると負けたと思われるのが嫌だから、ついつい我を通します。くだらぬことに目くじら立てて我を通そうとするのは、心に光のない人です。相手に勝ちを譲れる人こそ、本当の心の強さをもった人ではないでしょうか。

 最後七つ目は、安心して悩みや心配ごとを話し合えるように、温かく迎えてくれる場所を提供する「房舎施(ぼうしやせ)」です。訪ねてくる人があれば、わが家を一夜の宿に貸し、労をねぎらうということですが、これは現代ではだれでもというわけにもいきませんが、労をねぎらう心は、大切ですね。「お疲れ様」「ご苦労さま」は、ちょっとした言葉で、すがすがしい気持ちになるものですね。

 以上の「無財の七施」は、みなさんの心がけ次第で、だれにでもできる施(ほどこ)しなのです。人と人とのかかわりを和ませ、社会生活を円滑にしてくれる基本となる行いです。形あるもの、お金や財産を施すことも尊いですが、大切なものは目に見えないもの、無形の財産を施せる人になりたいですね。

 みなさんが「雨やどりさせてあげられる」強い人に育ってくださることを願っています。

 本日、みなさんには「こころの幹(き)」というノートが渡されたと思います。今日、私の話を聞いて、感じたことを書き留めてくれれば幸いです。これから、毎週、色々な先生方がお話をされます。そのお話を聴聞して感じるところを書き留めていってください。

 これで私の話を終わります。

今月の言葉《宗教教育係》 2013年05月01日(水)08時23分

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【五月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

4月 御命日法要 2013年04月15日(月)18時29分

平成25年度 御命日法要     2013/04/15

 ご承知のとおり、龍谷大学付属平安中学高等学校の「建学の精神」は、ことばを大切に・じかんを大切に・いのちを大切にです。ことばは「お名号」のことで、じかんは「無常」のことで「この世のありとあらゆるものは時々刻々と移り変わる」ことを意味しています。いのちは「お浄土」のことです。これを中学生にも高校生にもわかりやすい形でことば・じかん・いのちの三つを大切にということで示しています。説明は、いのち・じかん・ことばの順でします。
 まず、いのちについて説明します。私のいのちを考えてみますと、前生(ぜんしょう)(生まれる前)・今生(こんじょう)・後生(ごしょう)(死んでから)と分けられます。その中で、私たちは、今生(こんじょう)だけをいのちと考えがちです。しかし、私は今生の限りある有限の生物的な生命を過ごしているにすぎないのです。父や母や祖父母などこの先祖のだれが欠けても生まれてこなかったいのちなのです。そう考えるとき、どうして私の誕生があったのかという前生(ぜんしょう)と、死んだあとはどこへ行くのかという後生(ごしょう)と、つまり、私たちのいのちは今生だけの限りある、そこで終わるいのちではなく、阿弥陀様のおそばで無限の宗教的生命を得るのです。まことの世界に生まれかわる、つまり、お浄土に往(い)って生まれる浄土往生なのです。
 次に、じかんについて説明します。先ほど言いました私たちは阿弥陀様のおそばで無限の宗教的生命を得るということに気づくのは、今をおいてほかにはありません。時間とは無常です。諸行無常の理(ことわり)の通りです。「そのうちに」とか「いずれ」とか、明日があると思うから、今日(今)すべきことを先のばししてしまっていないでしょうか?仏教は「今」をどう生きるか、人として一瞬を悔いなく生きる、そのプロセスを大事にする教えです。(仏の教えではなく仏に成る教えです)
 最後に、ことばについて説明します。では、後生(ごしょう)は往生浄土と、どなたが決めてくださったのでしょうか? それは阿弥陀如来になられる法蔵菩薩さまの18番目の本願に「衆生(しゅじょう)を仏にせずにはおれない」で約束されています。私たちは弥陀の号(みな)である南無阿弥陀仏を呼ぶのです。声に出すのです。実は仏さまの「おはたらき」により私の口を通して号(みな)を称えさせてくださっているのです。この声を私は耳で聞きます。これが「聞法(もんぽう)」なのです。
以上をまとめますと、いのちを大切にする生き方は、すなわちじかんを大切に生きる姿そのものであります。そして往生は臨終によって定まるのではなく、信ずる心「信心」が定まる時に定まるわけですから、私の口を通して発することばこそ、本当に大事にしなければならないのです。
 本学園の建学の精神をご説明し、平成25年度最初の御命日法要にあたり、あらためて「いのちの大切さ」を考えさせてもらいました。     燧土勝徳

4月 御命日法要 
○ 日時 4月15日(月)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 法話 学校長     ◎ みなさん、お揃いでお参りください。

今月の言葉《宗教教育係》 2013年04月01日(月)13時53分

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【四月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板

今月の言葉《宗教教育係》 2013年03月02日(土)12時26分

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【三月】今月の言葉…各クラス教室掲示
    今月の聖語…学校正門 聖語板