私たちのちかい 一、自分の殻に閉じこもることなく
穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
しなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく
人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき
日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
朝露(つゆ)を見かける時期となった。早朝の木の葉の上にも、地面にも。そういう露も太陽が昇る頃になると、はかなく消えていく。経典には、無常を示す喩(たと)えとして、六喩(ゆ)とか十喩が出てくるが、夢とか幻、泡、影、電光(稲妻)などと並んでその中に露が入っている。蓮如上人は「御文章」で「それおもんみれば、人間はただ電光朝露(ちょうろ)の夢幻(ゆめまぼろし)のあひだのたのしみぞかし」と述べられる。喩えで味わうと、無常ということがいよいよこの身に感じられる。
真宗学者の梅原眞隆氏(1885~1966)は「白露のこぼれて秋は悲しけれ弥陀のそでにすがりてぞ生いく」と詠(うた)われる。別れの悲しみの中で詠まれた歌と推察される。それは、親子の別れであろうか。あるいは親しい友との別離であったのか。いずれにしても、下の句では、その悲しみを超えて生きていかれる姿が偲ばれる。それは、「すがりてぞ生く」の言葉のように、阿弥陀如来の「まかせよ、必ず救う」という声におまかせしている姿でもある。
幼い子を亡くされた通夜のことだった。おつとめの後、深い悲しみの若い両親に「仏さまの側から言いますと、亡くなるということは、阿弥陀さまの世界に生まれるということです。そして私たちは亡くなられたお子さんに導かれていくのです」と話した。その後、
両親は控室に来られ「子どもはお浄土に生まれたんですね」とくり返し、涙された。無常の世を阿弥陀さまに「すがりてぞ生く」。
「2023(令和5)年11月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」
11月 御命日法要
○ 日時 11月14日(火)16時00分~
○ 場所 礼拝堂(北校舎4F)
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 野田 茜 師(浄土真宗本願寺派布教使)