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2022(令和5)年11月 御命日法要について 2023年11月14日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 朝露(つゆ)を見かける時期となった。早朝の木の葉の上にも、地面にも。そういう露も太陽が昇る頃になると、はかなく消えていく。経典には、無常を示す喩(たと)えとして、六喩(ゆ)とか十喩が出てくるが、夢とか幻、泡、影、電光(稲妻)などと並んでその中に露が入っている。蓮如上人は「御文章」で「それおもんみれば、人間はただ電光朝露(ちょうろ)の夢幻(ゆめまぼろし)のあひだのたのしみぞかし」と述べられる。喩えで味わうと、無常ということがいよいよこの身に感じられる。

  真宗学者の梅原眞隆氏(1885~1966)は「白露のこぼれて秋は悲しけれ弥陀のそでにすがりてぞ生いく」と詠(うた)われる。別れの悲しみの中で詠まれた歌と推察される。それは、親子の別れであろうか。あるいは親しい友との別離であったのか。いずれにしても、下の句では、その悲しみを超えて生きていかれる姿が偲ばれる。それは、「すがりてぞ生く」の言葉のように、阿弥陀如来の「まかせよ、必ず救う」という声におまかせしている姿でもある。

  幼い子を亡くされた通夜のことだった。おつとめの後、深い悲しみの若い両親に「仏さまの側から言いますと、亡くなるということは、阿弥陀さまの世界に生まれるということです。そして私たちは亡くなられたお子さんに導かれていくのです」と話した。その後、
両親は控室に来られ「子どもはお浄土に生まれたんですね」とくり返し、涙された。無常の世を阿弥陀さまに「すがりてぞ生く」。

「2023(令和5)年11月1日(水曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


11月 御命日法要 
○ 日時 11月14日(火)16時00分~
○ 場所 礼拝堂(北校舎4F)
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 野田 茜 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年11月 今月の聖語・言葉について 2023年11月01日(水)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語

【今月の聖語】
ただ誹られるだけの人、またただ褒ほめられるだけの人は、
過去にもいなかったし、未来にもいないであろう、現在にもいない。 『法句経』

 私たちは様々な人との関係の中で生きています。どんな人とも仲良く付き合っていくことができればいいのですが、現実には「あの人は苦手だ」と感じることもあります。
 ですが、その「苦手な人」が他の人にとっては「いい人」だと言われていた、という経験をした人はいませんか。つまり、「苦手な人」というのは、自分にとって苦手な人のことであって、誰にとっても苦手な人ではないということなのです。同様に「いい人」も、誰にとってもいい人だとは限りません。
 このように私たちは自分の都合によって人を「いい人」、「苦手な人」と勝手に判断してしまいがちです。今月の聖語は、「ただ悪くいわれるだけのいやな人もいなければ、ただほめたたえられるだけのいい人もいない。人を勝手に判断してはならない」と語りかけているように思われます。
 人を一面的にしか見ることができない私たちのあり方を今一度見つめ直したいものです。

【今月の言葉】
母が己の独り子を命を賭けても護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量の慈しみのこころを起こすべし。 『スッタニパータ』

 昔、筆者の娘がベッドの上で飛び跳ねてあそんでいました。飛び跳ねた後、バランスを崩してあごのあたりを「ゴーン」と壁にぶつけてしまったのです。その様子を見て妻が一言目に言った言葉が、「あー痛い痛い」です。自分のあごが壁にあたったわけではないのに、子供を自分のことのように思って「痛い」と言ったのでした。
 同じように仏さまは、自分と他者という対立を超えて、他者の痛みを自分の痛みとして受け取られ、自分の命をかけて他者を守られます。さらには限られた者だけではなく、一切の生きとし生けるものに対して、そうした慈しみのこころを起こされます。
 今月の言葉は、そうした仏さまの無量の慈しみのこころを示されるとともに、限られた慈しみのこころしか持ち得ない私たちのあり方を問うているように思われます。
 合掌

2022(令和5)年10月 御命日法要について 2023年10月17日(火)08時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

  
 米どころのふるさと富山では、10月に入ると食卓に新米が上がる。そして報恩講がつとまる。思えば亡き父から、この時期につとめられる「在家報恩講」の大切さを何度も聞かされた。ふるさとの村では門徒全戸が丁寧に行う。この在家報恩講が 25年前、伝道誌「御堂さん」10月号の特集で取り上げられた。その中で、明治生まれの大田ひろさんが「こんな、どないもならんわがまま婆(ばば)あを引き受けて必ず救うとおっしゃるんやから、せめて万分の一でもご恩報謝させてもらわにゃあ。乱れきった今の社会で不足しているのは、ただ掌(てのひら)を合わすこと。そして同じ方、仏さまの方へ向くこと。みんな自分本位の勝手な方に向いとるから対立したり争ったりするんでしょが」と語っていた。
 さらに大田さんは、人と人の接し方の向きには3つあると続ける。「互いに背を向けていたら、相手の気持ちがわからないし、自分もわからなくなる。互いに向き合って話すのもいいが、同じ家族で考え方も違うし、我を張りおうて言い争いもする。仏さんの方へ向いとったら、それぞれ思いの違う者同士が一つになれる。お慈悲さんの中ではみんな兄弟、これが在家報恩講のこころではないがけ」。お念仏に出遇う慶びを伝えてくださった親鸞聖人に感謝する報恩講。先に亡くなった方々の思いや願いをいただきながら、阿弥陀さまに掌を合わせ、お浄土で仏と成るという人生を送る身にお育てくださったご恩を大切に味わわせていただきたい。

「2023(令和 5)年 10 月 10 日(火曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


11月 御命日法要 
○ 日時 10月17日(火)16時00分~
○ 場所 礼拝堂(北校舎4F)
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 渡辺 有 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年10月 今月の聖語・言葉について 2023年10月02日(月)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語

【今月の聖語】
少欲知足   『仏説無量寿経』

 この言葉は、『仏説無量寿経』に説かれており、阿弥陀仏と成る前の法蔵菩薩のお姿を述べられた一部です。他には「和顔愛語」「先意承問」(表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手の心を汲み取ってよく受け入れ)などが説かれています。
 さて、今月の聖語で述べられていることは、「欲は少なく足ることを知る」ということです。欲しいものを貪るように求めても、また次から次に欲は出てきます。そして、自分が一体何を求めているのかさえ見失ってしまうこともあるでしょう。仏教では、代表的な煩悩の一つに「貪欲」を説きます。これは「貪り」を意味し、欲のままに求め続けることで時として自他を傷つけ苦しめることにつながりかねないものです。
  大切なことは、ほんの少しずつでも自分自身の心をコントロールしていくことだと思います。今月の聖語を踏まえ、一度自分自身の心のあり方や姿を見つめ直してみてください。

【今月の言葉】
歩んでいても、とどまっていても、ひとの命は昼夜に過ぎ去り、とどまりはしない。 
-河の水流のようなものである。   『ウダーナヴァルガ』

 河の流れが止まらないように、すべてのものは移り変わっていきます。仏教ではこれを「諸行無常」と説き、事実、真実とします。早いもので十月を迎えました。今年度も後半に入りましたね。改めて四月からを振り返ってみると、本当にあっという間に月日が流れていったように感じます。
 仏教の開祖であるお釈迦さま(ゴータマ・シッダッタ)は入滅される前に「世は無常である。怠ることなく精進するように」と言い残されました。私たちのいのちも、また日々過ごしている日常の生活もすべては有限です。つまり、限りがあるということであり、限りがあるからこそ尊く、貴重だといえます。
  普段の生活では気づきにくいことかも知れませんが、ふとしたときや何かの節目に「諸行無常」という現実と向き合ってください。水流のように二度と戻らないこの時間を改めて大切にして、自分自身の目標に向け精進していきましょう。   合掌

2023(令和 5)年度 御命日法要【9月】ならびに「入仏慶讃法要」 2023年09月12日(火)08時00分

 浄土真宗における入仏式(入仏慶讃法要)は、寺院や門徒の家で新しく御本尊をお迎えしたり、修理などが終わりお遷りになったとき勤める法要です。一般に「おわたまし」「おひもとき」とも称されていますが、「お正念」を入れるということではなくて、深厚の仏
縁をよろこび、仏壇を安置して心のよりどころとし、日々報謝の勤行とお給仕を相続することの決意を表明する儀式です。したがいまして、この新校舎 礼拝堂 入仏慶讃法要は、仏縁をよろこび、ご本尊を安置して心のよりどころとし、仏さまから受ける大いなるご恩
に感謝して報いる生活を送ることの決意を表す儀式となります。

聞法の心得
 浄土真宗は聞法が第一といわれるように、み教えを聞くということがもっとも大切です。本校に身をおくものとして、校内でひらかれる法要・行事には積極的に参加し、そのすべてが聞法の場となるようこころがけていただきたいと思います。

浄土真宗の聴聞の心得
一、このたびのこのご縁は、初事と思うべし
一、このたびのこのご縁は、我一人のためと思うべし
一、このたびのこのご縁は、今生最後と思うべし
このような思いで仏法の要、「南無阿弥陀仏」のおいわれを聞かせていただきましょう。

礼拝堂での法要・行事
〈修正会〉
 新年を迎え、真実のみ教えに生かされる身のしあわせをよろこび、念仏もろともに報恩の生活の第一歩をふみだす法要です。新年のはじめにご本尊に礼拝し、こころを新たにするのは、たいへん意義深いことです。

〈御命日法要〉
 御命日法要は、親鸞聖人のご命日(一月十六日)を基本として、毎月、阿弥陀如来の本願を聞きひらき、味わいを深めさせていただく、本校にとって大切な法要です。

〈宗祖降誕会(開校記念日)〉
 宗祖降誕会は、親鸞聖人のご誕生(五月二十一日)をお祝いする法要です。この日は本校の開校記念日であることから開校記念式として勤修しています。聖人はその生涯をとおして、阿弥陀如来のおすくい、南無阿弥陀仏のはたらきによって、すくわれていく身のよろこびを伝えてくださいました。そのご恩をよろこびながら、阿弥陀如来のお徳を讃嘆させていただきたいものです。


9月御命日法要ならびに入仏慶讃法要
○ 日時 9月12日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 若林唯人 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年9月 今月の聖語・言葉について 2023年09月01日(金)08時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語

【今月の聖語】
ことが起こったとき、友があるのは楽しい。『ダンマパダ』
 
 みなさんは「友人」と聞くと、どのようなイメージを持つでしょうか。自分が困っている時に、迷わず助けてくれる。悩みごとがあると、話を聞いてくれて相談に乗ってくれるなど、いろいろと思い浮かべるでしょう。友人というのは、自分が悪いことをしたらちゃんと注意して良い方向に導いてくれる存在でもあります。仏教では「善友(ぜんぬ)」と言い、仏教を開いた釈尊は弟子たちに対して、「善友」の立場をとられました。釈尊からすれば、お互い助け合い、悪いことをたしなめ、共に修行して高め合う仲間だということです。また「楽しい」とは、心がウキウキするような気分を指すのではなく、心が安らぐということです。
 ところで、今月は四年ぶりに文化祭が通常実施となります。各クラスで文化祭準備が行われる中、みなさんはクラスの友人たちと協力し合いながら事を進めていることでしょう。共に高め合える友人を大切にし、仏教で言う「善友」のような関係を築いていってほしいものです。


【今月の言葉】
大切なのは、かつてでもなく、これからでもない。一呼吸一呼吸の今である。坂村真民

 大切なのは過去でもなく、これからでもありません。私たちは時として過去のことを引きずり、また先のことに対して不安になることもあります。そうして、心は絶えず揺れ動きますが、時間は刻々と過ぎていくのです。そして、今すべきことがあるのならすぐにやらなければならないのですが、何か理由を付けるなどして、ついつい「明日にしよう」と先延ばしてしまうことはないでしょうか。
 また、もし自分の中で何か目標があるのなら、その目標のために今何ができるのかを考えてみましょう。今できることをしっかり取り組めば、必ず目標到達に結びつくはずです。一呼吸に集中して心を今に置き、今という時間を大切にして、普段から意識してやるべきことに取り組んでみましょう。

2023(令和5)年8月 今月の聖語・言葉について 2023年08月01日(火)10時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語

【今月の聖語】
生まれたことはありがたく、生きることもありがたい。
                       『ダンマパダ』
 
 『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 父・母・祖父・祖母・・・・・。たくさんの人の繋がりがあって、私たちはこの世に誕生しました。いのちの繋がりは果てしない程広がりますが、その中で一人でも欠けていたら今の私はいないことになります。まさに「有り難い」ということであり、奇跡と言っても過言ではないでしょう。また、生きるということについても、多くの人の支えや励ましがあり、衣食住に関しては多くのいのちをいただいて生きています。
 いつもはあることが当たり前、すなわち「有り易い」と錯覚してしまいがちですが、本当は「有り難い」ことだと教えて頂くのが今月の聖語。感謝の気持ちをもって、身近な人やものに目を向けてみてはいかがでしょうか。
 今月はお盆でもあります。過去のつながり、現在のつながり、そして未来のつながりを、今一度考える機会にしていきたいものです。

【今月の言葉】
ともすれば二度のお礼も欠くるなり 三度の箸は忘れざる身も                                    
                          小野逸子
 
 作者の小野さんはお念仏の教えを大切にされておられる広島の方です。本校でも朝の仏参を行っておりますが、本来は朝と夕に一度ずつ仏さまにお参りをします。それが「二度のお礼」です。「三度の箸」は朝昼晩の三食の食事のことを示します。
 私たちは、食事を忘れることはまずありませんが、仏さまへのお礼を忘れてしまうことがあります。自分の煩悩を優先することはあっても、仏さまを大切にすることを疎(おろそ)かにしてしまいがちな私たちの姿をうまく言い当てた言葉といえるでしょう。
 もちろん人間は食べないと死んでしまいます。だからといって食べていても死にます。極端な例かもしれませんが、老・病・死をはじめ人生における思い通りにならない「苦」を前にして、ふと生きることに不安を覚える時があるかもしれません。でも、仏さまはいつもそばにおられ、苦悩する私たちのよりどころとなって頂き、お浄土にお導きくださいます。
 朝の仏参の「一度のお礼」を大切にして、仏さまの教えに耳を傾けて参りましょう。

2022(令和5)年7月 御命日法要ならびに御遷仏法要 について 2023年07月11日(火)09時00分

私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように

 このたび、礼拝堂が新北校舎に移りますことから、長年にわたり多くの法要をお勤めし、たくさんのご法話を聴聞し、聞法の場として親しませていただきました礼拝堂にて御命日法要ならびに「御遷仏法要」を勤修いたします。本年8月よりは、新北校舎礼拝堂にて様々な法要を執り行いますので、この日をもちまして、最後のお勤めとなります。みなさまにおかれましては、何かとお忙しいとは存じますが、できるかぎりお参りいただき皆で感謝申し上げましょう。ところで、礼拝堂は、法要儀式を行う場所だけではなく、浄土真宗では「聞法の道場」であります。ご本山をはじめ末寺の本堂は、内陣(僧侶がお勤めをする場所)と外陣(門信徒がお参りする場所)に分けられますが、浄土真宗の本堂の特徴は、内陣よりも外陣の方が広いということです。ご本山である西本願寺御影堂は内陣 282 畳、外陣 441 畳です。他の宗派のお寺によっては、内陣のみで外陣がない場合、もしくは、あってもごくわずかという所が見受けられますが、これはお寺の本堂が僧侶の修行の場であるという意味合いが強いということでしょう。浄土真宗の本堂が「聞法の道場」であるということは、私たち一人一人が、法に出遇わせていただき、法を聴聞し、法を慶んでいく場所が本堂であるということです。宗祖親鸞聖人は、浄土三部経(仏説無量寿経・仏説観無量寿経・仏説阿弥陀経)の中で、『仏説無量寿経』が我々凡夫にとりましては真実の教えであると申されています。
聖人の主著である『教行信証』「教の巻」に
【1】 謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。
往相の回向について、真実の教行信証あり。
【2】 それ、真実の教を顕さば、すなわち『大無量寿経』これなり。この経の大意は、弥陀、誓いを超発して、広く法蔵を開きて、凡小を哀れみて、選びて功徳の宝を施することをいたす。釈迦、世に出興して、道教を光闡して、群萌を拯い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。ここをもって、如来の本願を説きて、経の宗致とす。すなわち、仏の名号をもって、経の体とするなり。
『顕浄土真実教文類―愚禿釈親鸞集』

 この「教の巻」の中に、救われ難き煩悩具足の凡夫が、真実のはたらき、南無阿弥陀仏を聞信する一念に救われていく道が簡潔に説かれています。あらためて、この親鸞聖人のご法義を深く受け止め、聞法の道場として仏法聴聞を続けさせていただきましょう。

7月御命日法要ならびに御遷仏法要
○ 日時 7月 11日(火)16時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 讃仏偈
○ 法話 渡辺雅俊 師(浄土真宗本願寺派布教使)

2023(令和5)年7月 今月の聖語・言葉について 2023年07月01日(土)09時00分

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今月の聖語・言葉を紹介します。

今月の聖語 ・・・ 正門聖語板
今月の言葉 ・・・ 教室掲示今月の聖語


【今月の聖語】
その行ないが親切であれ   『ダンマパダ』

『ダンマパダ』とは、釈尊の教えを集めたもので、人間そのものへの深い反省や生活の指針を短い句によって示したものです。
 仏教には他者に対し、慈しみの心を持って接する「慈悲」という言葉があります。釈尊が「行いが親切であれ」と述べるように、私たちは他者に対してどのように接することができるでしょうか。ここで、「無財の七施(しちせ)」ということに触れてみたいと思います。
一「眼施(げんせ)」・・・温かく優しい眼差しで接すること。 
二「和顔施(わげんせ)」 ・・・柔和な顔で接すること。
三「言辞施(ごんじせ)」 ・・・優しい言葉で接すること。
四「身施(しんせ)」・・・自分の体で出来ることを奉仕すること。
五「心施(しんせ)」・・・思いやりの心を持って接すること。
六「床座施(しょうざせ)」・・・席を譲ること。
七「房舎施(ぼうしゃせ)」・・・場所をあたえ、あたたかく迎えること。
 これらは、財がなくても心さえあれば実践することが出来る事柄です。互いに敬い合い、助け合いながら日々の生活を送っていきたいものですね。

【今月の言葉】
見えないところがほんものにならないと、
見えるところもほんものにならない      東井義雄

 
  この言葉は、人間の内面的で、姿・形として目には見えない「心のあり方」の大切さについて述べられているように感じます。
 今から約十二年前になりますが、東日本大震災直後にテレビで流れた公共広告機構のコマーシャルで紹介されていた詩を思い出しました。宮澤章二氏『行為の意味』に掲載されているものです。

「こころ」はだれにも見えないけれど 「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど 「思いやり」はだれにでも見える

その人の「心のあり方」が、言葉や行動に表れるからこそ、相手に伝わるものがあり、心が動かされるのだと思います。逆を言えば、上辺だけ飾ったような言葉や行動では、なかなか相手には響かないものだと感じます。
 今回紹介した東井義雄さんの言葉ですが、「見えないところが見えるところを支えている」とも述べられています。この言葉の意味も併せて味わってみてほしいと思います。  合掌

2022(令和5)年6月 御命日法要について 2023年06月13日(火)07時30分

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私たちのちかい  一、自分の殻に閉じこもることなく
           穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
           微笑(ほほえ)み語りかける仏さまのように
         一、むさぼり、いかり、おろかさに流されず
           しなやかな心と振る舞いを心がけます
           心安らかな仏さまのように
         一、自分だけを大事にすることなく
           人と喜びや悲しみを分かち合います
           慈悲に満ちみちた仏さまのように
         一、生かされていることに気づき
           日々に精一杯つとめます
          人びとの救いに尽くす仏さまのように


 こんな所でお会いするとは、ということを時に経験する。近くに居るからといって会う機会が多いとは限らない。また、出会いには、行きずりもあれば人生の方向を決定づけてしまうほどのものもある。あの時、あの人と出会ったことが、今の自分を作りあげてくれ
た大きな機縁になっていた、と後で振り返ることは誰にでもあることだ。かつて、ある先生にお会いして尋ねてみたいと思っていたところ、たまたま同席する機会があり、自分の名前を名乗りもせず、いきなり聞きたいことを口から発していた。そんな失礼な出会いにもかかわらず、それ以来、その先生とは今日までご縁が続いている。私にとって生きる大きな力になったことに感謝している。もし、あの時、お会いできなかったらと思うと、いよいよその思いは深まっていく。「出会い」は日常使っていることばであるが、このことばには、偶然という文字が伴っていることも多いように思えて、少ししっくりとこない感じもする。限りなく多くの人の中から、出会いによって、この人と時と場所を同じくして生きていく。この出会いは、偶然ではすまされない深いものがあるようにつくづくと思える。ご本願にであったことを、親鸞聖人は「たまたま行
信(ぎょうしん)獲(え)ば、遠く宿縁を慶(よろこ)べ」と言わ
れた。私の側からいえば「たまたま」である。しかし、如来の立場からは、あわせるようにと常にはたらいてくださっている。この深いご縁を慶ばせていただきたい。
「2023(令和 5)年 6 月 1 日(木曜日)本願寺新報『赤光白光』より」


6月 御命日法要
○ 日時 6 月 13 日(火)16 時~
○ 場所 礼拝堂
○ 勤行 正信念仏偈
○ 法話 津守秀憲 師(浄土真宗本願寺派布教使)