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朝の講堂仏参 2023年05月01日(月)09時33分

今朝は5月最初の仏参でした。本日より夏服期間ということで、ブレザーの着用は任意となります。

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今回の講話は燧土副校長のお話で、先日27日に生徒たちと南座で鑑賞した「若き日の親鸞」の内容を振りかえられました。

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その後、仏教的なものの見方や考え方についてお話されました。本校創立140周年の式典において、本願寺の専如御門主が人工知能について語られた内容を挙げられました。

「人間とロボットの違いはなんであるか。その違いは私たち人間には心がある。だからこそ宗教を持つということである。科学技術が発達した現代であるからこそ、私たち人間の生き方が問われることになる。そして、それは日々の生活の中で、私たちがどのようにいのちの問題を考え、生活していくかということにつながる。その背景には必ず宗教が必要になる」

この宗教が必要になるとは、「仏教的なものの見方・考え方ができるということだ」と、燧土副校長は説明されました。そして、「いのちの問題について考える」という点から、私たちが多くのいのちを殺して食事をいただいている、そのようないのちであることを示され、次のようなお話を紹介されました。

ある幼稚園児が「僕の家は給食費を払っているから、いちいちいただきますと言わなくていいんだ」と駄々をこねていました。すると、園長先生がその園児に対して、「その給食費は、お米やおさかなやお肉を扱う人や手間賃、経費なんですよ。私たちは牛さんや豚さんには一銭も払っていないんですよ。海で泳ぐお魚さんに餌だってあげていません。だから、ごめんなさい。あなたのいのちを殺していただきます」と諭されたそうです。

本願寺派布教使の山下瑞円先生には、大手製薬会社で働く友人がいます。その友人は薬を飲むとき、「いただきます」「ごちそうさま」と言います。現代にはさまざまな薬があるが、基礎研究の段階から微生物や動物など、何千何万ものいのちが犠牲になっている。このいのちの犠牲なくして、薬が生まれることは決してない。私たち一人ひとりのいのちは、たくさんのいのちの犠牲の上に成り立っている。

これらが仏教的なものの見方・考え方であり、燧土副校長は「宗教の時間を通して学ぶことで、自然と私たちの心に沁み込んでいく」とおっしゃいました。今朝の講話から、生徒たちが本校の三つの大切の中にある「いのちの大切」さをあらためて考え、仏教的な視点に立って物事を見たり考えてたりできるきっかけになればと思います。