8月2日のことを報告させて頂きます。
野蒜(のびる)駅に集合した後、東松島市震災復興伝承館へ移動しました。伝承館は旧野蒜駅です。この東松島市だけで、1000人以上の人がお亡くなりになり、未だ行方が分からない人も25人おられます。新しい野蒜駅では、全く想像がつかない状態でした。しかし移動しているところで、震災の爪痕が残っていました。
上の写真は、野蒜駅から旧野蒜駅の方向に向かい撮影したものです。見ていただいて分かるように、ほぼ何もありません。移動中多くの人に驚いたのか犬が吠えていました。家があっただろうと思われる痕跡が沢山あり、「暑い、暑い」と言いながら歩いていた人も少しずつ話しをしなくなっていきました。
次に旧駅に近くなったところで、写真のような看板を見つけました。話しのよると、地主さんが「何かあった時に」と山の中に簡単な避難所をつくられていたということです。地震が起こり、津波発生と同時に近所の人が逃げ込み、数十名助かったということを聞きました。
何もなかった時、その地主さんがどのような目で見られていたのかは分かりません。しかし数十名の人が助かったことから考えれば、常に私たち自身が大きなことについて忘れているように感じました。阪神淡路大震災の時は、やはり災害が身近であっただけに、我々も意識していたはずですが…。
そうこうしているうちに、伝承館へ着きました。建物のところに青色の看板があります。ここまで津波の水がきたのです。もちろん海からはそこそこ距離がありますし、また駅の前には川もあります。そこを通り越してやってきた波は私たちには想像出来ませんでした。
その後の伝承館でのお話になったのですが、そのことは次回報告させてもらいます。
※ 9月3日(日)に雲雀丘中学・高校の文化祭へ行ってきました。その報告は中学部ブログに書かせてもらいます。