文化祭1日目の講堂発表ステージの最後に
演奏させて頂きました。
中学生も交えての大所帯での演奏、迫力のあるサウンドを
お届けしました。
ちなみに、文化祭では吹奏楽部焼きそばを
模擬店で販売しています!
今年の味付けは一味違う!?2日目も販売してますので
是非ご購入ください!
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伝承館についてから、八戸までの話しです。
まず被災者のメッセージが詰まった映像を観ました。津波の映像はやはりショックです。津波がきているのに「歩くことしか出来ないお年寄り」「車が呑まれていく瞬間」「壊れていく家」「避難所での生活」「ごみという名の思いで」…。
この野蒜駅での上下線の交換。発車後1分での地震。まさか1分後に地震が起こるとは誰も思っていなかったでしょう。「あっ、〇〇が乗ってる。仙台へ行くのかな?」「久しぶりやね。どこ行くの?」 その列車ではこんな会話が交わされ、人々はまた色々な思いの中で生きておられたのだと思います。以下の写真が「旧野蒜駅」です。またその野蒜駅にあった券売機です。
ところがわずか1分で、その人たちの思いが断ち切られたのでした。生死を分けた列車。下りは小高い丘に停車し、津波からの被害を免れた。上りはマニュアル通り乗客を避難所へ避難させると津波が襲ってきた。そしてその津波に呑まれてしまった…。
下の写真は旧野蒜駅待合室です。青色部分まで津波が到達したらしいのです。
日頃からお釈迦様や親鸞聖人のお話を聴いていますが、これほどまでに実感をした経験はなかったです。
伝承館を出て、上り列車が津波に呑み込まれた時点まで歩きました。下は避難された野蒜小学校です。旧線の踏切跡から撮ったものです。下のもう1枚の写真右奥の家に、電車が流されて止まったそうです。
平安の3つの大切。「ことばを大切に、時間を大切に、時間を大切に」ということです。その言葉を思い出した時、想像すればするほど心がとても痛くなりました。我々はどのような生き方をしているのでしょう? 再考した次第です。
この伝承館を最後に、各学校がバラバラになり次年度の長野大会で出逢うことを約束し、私たちは八戸へ移動したのでした。
今日まで体育祭でした!
体育祭後は近くの梅小路公園にて
梅小路ふれあいコンサートに出演させて頂きました。
そして明日は文化祭です!
本校講堂にて吹奏楽部の演奏も披露します!
一人でも多くの人に演奏を聴いて頂きたく思います。
ぜひお越し下さい!
9月3日(日)に雲雀丘中学・高校の文化祭へ行き、鉄道研究部を訪れました。昨年、一昨年と本校の文化祭と重なり、行くことが出来なかったのですが、久しぶりに寄せていただくことが出来ました。
いつものように展示されているSLに見とれていました。「いいなあ…。うちも学校に誰か寄付してくれないかなあ…」とぼやいてしまいました。顧問曰く「置くところがない」といつも言います。つまり置くところがあったら買ってくれのでしょうか?!
部室も案内していただき、整理されている部屋にドキリ。いつも言われていることですが、やはり整理整頓をしっかりしないといけないと思いました。
ジオラマはいつも素晴らしいものを制作されています。細かいところまで凝った作品。私たちも外に出ても恥ずかしくない作品を作らないといけないと考えました。
何より阪急電車宝塚線、神戸線のバリアフリーマップは見応えがありました。早速顧問に「何か世間の人に喜ばれるものを作りたい」という報告しました。
5月の灘中学・高校さんといい、各学校へ行くと色々私たちが気づかないところのことを見出して、驚くようなことをされ、私たちが大いに刺激を受けます。
10日(日)11日(月)は本校の文化祭です。ジオラマをはじめ、8月の全国交流会のことを発表したいと思います。みなさんも是非お越し下さい。
8月2日のことを報告させて頂きます。
野蒜(のびる)駅に集合した後、東松島市震災復興伝承館へ移動しました。伝承館は旧野蒜駅です。この東松島市だけで、1000人以上の人がお亡くなりになり、未だ行方が分からない人も25人おられます。新しい野蒜駅では、全く想像がつかない状態でした。しかし移動しているところで、震災の爪痕が残っていました。
上の写真は、野蒜駅から旧野蒜駅の方向に向かい撮影したものです。見ていただいて分かるように、ほぼ何もありません。移動中多くの人に驚いたのか犬が吠えていました。家があっただろうと思われる痕跡が沢山あり、「暑い、暑い」と言いながら歩いていた人も少しずつ話しをしなくなっていきました。
次に旧駅に近くなったところで、写真のような看板を見つけました。話しのよると、地主さんが「何かあった時に」と山の中に簡単な避難所をつくられていたということです。地震が起こり、津波発生と同時に近所の人が逃げ込み、数十名助かったということを聞きました。
何もなかった時、その地主さんがどのような目で見られていたのかは分かりません。しかし数十名の人が助かったことから考えれば、常に私たち自身が大きなことについて忘れているように感じました。阪神淡路大震災の時は、やはり災害が身近であっただけに、我々も意識していたはずですが…。
そうこうしているうちに、伝承館へ着きました。建物のところに青色の看板があります。ここまで津波の水がきたのです。もちろん海からはそこそこ距離がありますし、また駅の前には川もあります。そこを通り越してやってきた波は私たちには想像出来ませんでした。
その後の伝承館でのお話になったのですが、そのことは次回報告させてもらいます。
※ 9月3日(日)に雲雀丘中学・高校の文化祭へ行ってきました。その報告は中学部ブログに書かせてもらいます。
京都府マーチングコンテストで
金賞を受賞、京都府代表として9月23日に
大阪市中央体育館でおこなわれる関西マーチングコンテストの
出場権を得ました!
今年度は衣装も一新し、先生方から数多くレッスンでご指導頂きました。
関西大会に向けて、部員皆で立てた目標を見失わず、より一層努力を重ねましょう!
8月1日午後のことを報告します。
松島基地を後にし、仙石東北ラインを利用して会場の東北福祉大学へ向かいました。昨年は参加出来なかったのですが、久しぶりに関東の学校みなさん。また雲雀丘中学・高等学校のみなさんとお出逢いしました。
着いていきなりの「司会進行」の依頼。2年生、よく踏ん張って司会進行をしてくれました。
まず神奈川県連渡邊和敏先生の挨拶の後、東北福祉大学星山幸男先生から「仙山線の交流電化」について講演を聞きました。かなり疲れていたのですが、「交流電化の実験線として仙山線が利用された意味」「十河国鉄総裁の訪問」などのことを聞きました。このお話から「新幹線」との関連が考察出来たことは大きかったです。
その後各学校での活動報告や取り組みを発表し、ジオラマだけでなく研究誌にも力を入れていることが分かりました。その後、40分ほど各学校の人と挨拶をしました。ただ一番落ち着いたのは雲雀丘の生徒さんと話しをした時です。
雲雀ヶ丘中学・高校、灘中学・高校、洛星中学・高校、京都共栄中学・高校、京都工芸学院高校など、文化祭で寄せて頂いたり、来て頂いたりしていますから、雲雀丘中学・高校のみなさんの顔を見てホッとした思いでした。9月2日・3日に文化祭だと聞いたので、是非寄せて頂き、模型や研究などのことを色々教えて頂こうと思います。
交流会の後、集合写真を撮り、仙山線、仙石線を利用し松島海岸へ帰りました。いよいよ今回のメインテーマである「野蒜駅と震災」について2日目の交流会で学ぶことになります。
次回は2日のことを報告させてもらいます。